〔私といっしょにひと時も目を覚ましていられないのか〕
2014年4月8日(火)
この世界では理念や信条ではなく、行為がすべてを決定するのである。しかし、十字架につけられた方の「かたち」は、すべてのことにおいて成功を尺度としてはかる考えを無力なものとする。
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キリストは、成功と失敗とを中心として展開されるすべての人間的な考えを解消し、成功者であるか失敗者であるかにかかわらず、あらゆる人間を神の裁きのもとに置く。ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、174頁f。
成功者であることは、人生を築くことであると、考えてきたところがあります。
そこには平安はありません。
しかしイエスさまと共に歩むということは、十字架のもとにいるということです。十字架のもとには平安があります。
(祈り)
神さま、つねに十字架のもとにおらせてください。
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