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めぐみのパンくず

聞く耳のある者は聞きなさい。」また彼らに言われた「聞いていることによく注意しなさい」。”

         マルコ 4::23、24

◎イエスさまは、神の国の奥義について「種まきの話」の意味を弟子たちに語られました。引き続いて「聞く耳のある者は聞きなさい」と言われました。

◎まず燭台のあかりの話をされますが、神の国の奥義は隠されることがないと言われます。あかりは升の下に置くと消え、寝台の下に置くと火事になります。そんなことは誰もしません。神の国の奥義は弟子たちを通して隠されることなく、燃やされていくのです。キリスト者は与えられている神の国の奥義を輝かせていく存在です。

◎「聞いていることに注意しなさい」原語の聖書は「誰でも、見よ聞け」と命令形で書かれています。聞くことが奨められている中で、「見よ」はどう言うことでしょう。イエスさまが語られる奥義を「見ている如く聞け」と言うことでしょう。やがてそれは結果となり表れます。世の量でなく、神の国の標準で物事を量っていくとき、自らも量ったように量り返される。これが神の国の原則です。

◎VS25は結論のような言葉ですね。「信仰にも、ことばにも知識、熱心、愛にも恵みのわざにも」Ⅱコリント8:7「持っている人」が勧めの世界です。現在は格差社会と言われますが、イエスさまの時代、貧富の差の激しさは大きかったと言われます。この地上の見えるところがそうであれば、神の国の世界はそれ以上のものがあると言われます。しかし、それは喜びの格差、恵の格差、神さまに愛されている信仰の格差です。

めぐみのパンくず

良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いて受け入れ、三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶ人たちです。”    マルコ4:20

◎キリスト者として何度も聞き、味わったイエスさま

のたとえ話です。種はみことば、地とは聞く人の心ですね。イエスさまは12弟子たちと共に従って来た人々に、億義「ミステーリオン」として解き明かされました。

◎道ばたに蒔かれた種。パレスチナの畑にロバの背に種の穴の開いた袋をのせ歩きながら、落ちるままに蒔きました。ですからある種は道ばたに落ちたのです。その種は鳥(サタン)の餌になってしまい、それっきりです。みことばを聞いて考えるところまで行かない人々です。

◎ 石地に蒔かれた種、石灰岩の棚状地層で覆っている薄い土壌です。そこに落ちた種は問題なく芽を出すのですが、根を張ることができません。みことばを聞いても深く考えないと根は降ろされないのです。

◎いばらの地に蒔かれた種、パレスチナの農夫は怠け者が多く、雑草の根は刈らず、時には表面を焼くだけでした。雑草の、いばらの成長は早く、あっという間に蒔かれたものをふさいでしまいます。イエスさまはこの状態を「世の心づかい、富の惑わし、いろいろな欲望」と言われました。

◎最後に良い地です。良い地は手入れが必要です。そのごとく、聞かなければならない、受け入れな刈ればならない、適応(実践)が必要です。

イエスさまの語って下さった、みことばは自分に語って下さっていると受け入れ、宝物のように大切にし、従っていくところに豊かな実りがあるのです。

ハンドベル練習参加の御案内

*クリスマスに向けてハンドベルご一緒にしませんか。

☆年齢・経験は問いません。どなたでもご参加ください(親子参加もOK)

★練習日:11月5日(日)~12月17日(日)

       毎日曜午後一時~

☆場所:太秦キリスト教会(中京区壬生西大竹町6-2)

    参加費:無料

 

〈問い合わせ先〉 TEL:075-595-5753

秋の特別伝道礼拝

      『しあわせのルール』

            講師 ・ 浜岡典子先生

             (近江福音自由教会牧師夫人)

日時10月29() AM10:30~

場所・太秦キリスト教会 中京区壬生西大竹町6-2TEL075-822-0991

  プロフィール

祖母がクリスチャンで、幼い時から教会に行くが、信仰を持ったのは、中学2年生。

しかし中3の受験の日に父親を交通事故で亡くすという経験を通し、

キリストと向き合い、信仰が深められた。17才で洗礼を受け、その頃から作詞作曲を始める。

現在は、国内外の教会を中心に様々な地域の働きにも出て行き、2011年からは仙台・石巻へも行き、神様の愛を歌い続ける。

曲名「確かに聞こえる」「今はただそれだけ」「愛のしるし」

「アメイジンググレイス」「しあわせのルール」

どなたさまもご自由に

ご参加ください。

めぐみのパンくず

神のみこころを行う人はだれでも、わたしの

兄弟、姉妹、また母なのです。” マルコ3:35

◎ベルゼブル論争の前、イエスさまの身内の者が、間違った噂を聞き心配して出てきました。今度はイエスさまの母と兄弟たちがやって来たのです。その知らせがイエスさまに告げられると、イエスさまは上のみことばを語られました。

◎母マリヤはイエス様誕生の時から幾度かイエスさまのことを思いめぐらす人でした。イエスさまの公生涯出発は十分理解していたはずなのに・・子の悪評に対する母としての心配に揺らいだのでしょう。

◎そのような時、イエスさまは地上の家族関係を超えて、永遠に続く神の家族関係の条件を語られたのです。「神のみこころを行なう人」と。それは、イエスさまと共通の経験、興味、服従、目的を持ったもの、とある学者は言いました。そこで私たちも考えて見ましょう。

◎イエスさまとの経験とは、十字架の経験です。もちろん本物の十字架にではありません。イエスさまに赦しをこうた十字架の犯罪人のように、私の罪のために死んでくださったという経験です。

◎共通の興味、みことばへの興味、聖徒へのあこがれ、信仰者としての興味です。

◎共通の服従。イエスさまの御足の後をしたがって行った。時には厳しい道も悲しみの涙を流しながらもイエスさまに従う信仰の歩みです。

◎共通の目的は御国~天国の希望です。

これらのことの中で信仰生活を主と共に歩む者が御心を行う人ではないでしょうか。