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めぐみのパンくず

彼はいたんだ葦を折ることもなく。くすぶる燈心を消すこともなく、まことをもって公儀をもたらす。”           イザヤ42章3節

◎イザヤはイエスさまについて多くのことを預言しました。僕として民のために来てくださった働きを見てみたいと思います。

◎「いたんだ葦を折ることなく」とあります。フランスの哲学者パスカルは「人間はひとくきの葦にすぎない。自然の中で最も弱いものである。だが、それは考える葦である」。と言いました。イエスさまはイエスさまを高み見物に来た人々に対して「風に揺らぐ葦か」とも言っておられますが、本当に定まらず弱い者です。信仰生活もしばしば傷つきその心が折れそうになる時がありますが、イエスさまは与えて下さった救いを弱い時にこそ守って下さるお方として来てくださったのです。

◎「くすぶる燈心を消すこともなく」とあります。キリスト者に与えられている、「信仰」の火が消えそうになることがあり、「希望」すらもくすんでしまいます。神さま「愛」に対してさえもしばしば疑いを持ったりします。しかし、僕となって来て下さったお方は決して「消さず」と約束してくださっているのです。み言葉の約束を見つめ続けていきたいと思います。

◎それだけではありません。「叫ばず、声をあげず、ちまたに声を聞かせず、衰えず、くじけない」vs2,4とありますが、イエスさまはキリスト者のうちに静かに語り、忍耐強く、見つめ支え続けて下さるお方です。弱い時にこそお任せしていきたいと思います。

めぐみのパンくず

聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証であられます。これは神の民の贖いのためであり、の栄光がほめられるためです。”

エペソ人への手紙 1:14

◎キリスト者の信じる神は、三位一体の神さまです。父なる神、御子イエス・キリスト、聖霊なる神と。父なる神とイエスさまは聖書を読みますとそのお姿は信仰生活の初めから理解できますが、「聖霊」と言われるとはっきりと理解できない信仰者もあるようです。事実、聖霊は「火・水・風・力」などと表現されているからです。

◎しかし、信仰生活において、聖霊なる神さまなしで救いも、信仰の成長も、御国への約束も考えられないのです。

◎エペソ人への手紙1章は、父なるさまの祝福3~6、御子による祝福7~12が記され、聖霊なる神さまはその祝福の「保証」となっていて下さることが記されています13,1。4神さまが建て上げ、イエスさまが十字架で完成してくださった「救い」の保証をしてくださるのが聖霊なのです。

◎それだけではありません。聖書を読んでいきますと、イエスさまが救い主であること、信仰生活における真理の一切も理解させてくださり、祈りさえも導いて下さるお方が聖霊だとわかります。

◎ゆえに、聖霊なる神さまの導きに敏感でありたいと思います。4章20節には「神の聖霊を悲しませてはいけません」とあり、Ⅰテサロニケ5章19節には「御霊を消してはなりません」とあります。ナーバスなお方です。しかし。信仰生活の動力です。聖霊に信頼して行きたいと思います。

めぐみのパンくず

母に慰められる者のように、わたしはあなたがたを慰め、エルサレムあなたは慰められる。”

                イザヤ書66:13

◎聖書の神は父なる神さまです。その神さまが母性をもって神の民を慰めると約束される箇所で、イスラエルの繁栄を願われゆえなのです。

◎三つのことが記されています。①「乳を飲ませ」。Ⅰペテロ2:2「生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい、それによって、成長し、救いを得るためです。」とありますが父なる神さまはみことばをもって神の民が成長することを願っておられるのです。

 ②「抱かれ」愛情表現の豊かさがあらわされている言葉です。幼子を抱く母、母に抱かれるこども。そこには安息があり、愛されていることを深く知る大切な人間関係の出発があります。そして成長していくのです。

③「膝の上で可愛がられる。」『遊びせんとて生まれけん、たわむれせんとや生まれけん』の始まりです。あやされる中、言葉と行いによって少しづつ行動を学んで行くのです。このことは大切なスキンシップです。

◎三度「慰める」と言うみ言葉が語られています。英語のComfort慰めるは、Comすっかり、fort力強い、という合成語でなっています。また、快適、安楽、満足、なだめる、とも訳される言葉で「慰め」の内容が理解できるように思います。

◎父なる神さまは罪に対して、厳しいお方ですが、その愛情は母のように優しいお方です。

このお方に憩える者の幸いを思います。