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めぐみのパンくず

“あなたがたのばあいは、キリストから受けた注ぎの油があなたがたのうちにとどまっています。それでだれからも教えを受ける必要がありません。彼の油がすべてのことについてあなたがたに教えるようにーその教えは真理であって偽りではありません。ーまた、その油があなたに教えたとおりに、あなたがたはキリストのうちにとどまるのです。” Ⅰヨハネの手紙 2:27

◎キリスト教以外に異教と異端の教えが満ちているこの世界です。異教は仏教、イスラム教、数々の信仰宗教とありますが、これらはその違いがはっきりしています。しかし、異端はキリスト教の名前をつかったり、その教義の一端を強調して、自分たちこそ本物と語ります。

◎イエスさまの昇天後、数十年して早この異端がはびこりました。彼らはキリスト教会から出て行った人たちで、「反キリストになった」とヨハネは言います。また「仲間でなかった」ともいいます。「本物と偽物が明らかにされた」ともヨハネは言います。

◎真のキリスト者はこのことによって何を見るのでしょうか。第一に「終わりの時代」vs18に入っている事です。羊と山羊が別けられるように。本物のキリスト者がはっきりとわかるためで真の御国の相続者が示される時代です。

◎まことのキリスト者のしるし、「油」がとどまって教えてくれるとヨハネは言いました。油は聖霊を現すものです。キリスト者にはこのお方がとどまっていてくださるゆえに、信仰生活を正しく歩ませて下さるのです。キリスト者はイエスさまにとどまり、聖霊がとどまって下さる存在です。

めぐみのパンくず

”世と世の欲は滅びさります。しかし、神のみこころを行なう者は、いつまでもながらえます。”

                    Ⅰヨハネ2:17

◎キリスト者には霊的な成長があることを聖書は記します。三つの世代に向かって子どもたちよ、青年たちよ、父たちよと。

◎まず子どもたち~神さまの子どもとされた二つのこと、一つは「罪を知った」ということです。自己憐憫でもなく、人に何かをしたことと言う以上に、聖なる神さまの前に罪がどんなに大きいものであることかを心の底から知った人です。

もう一つは「父を知った」ということです。イエスさまの十字架で赦しを経験したものは、御子によって父なる神さまの子供になったのです。その故に「天のお父さま」と祈るようにされた。

◎次に青年たち。彼らに向かってヨハネは「悪い者に打ち勝った」と言います。真の闘いは若い時に~です。キリスト者の闘いは内に外にやって来ます。ここでは内面の闘い「肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢」とあります。「官能的な満足に対する渇望」「貪り」「自分自身の資力を誇る」。それらに対してどのような武器で勝利できたのでしょうか。ヨハネは「神のみことばが、あなたがたにとどまり」と言っています。

◎最後に「父たちよ」。彼らは「初めからおられる方を知ったからです。」信仰の経験者です。使徒パウロは救われた時のダマスコ途上の話をくり返し語りました。ガラテヤ人の手紙では「生まれたときから選ばれていた」と記しますが、エペソの手紙では「世界の基を置かれる前から選んで下さった」と宇宙的、永遠的に御父を知ったのでした。

めぐみのパンくず

しかし、私は新しい命令としてあなたがたに書き送ります。これはキリストにおいて真理であり、あなたがたにとっても真理です。なぜなら、闇が消え去り、まことの光がすでに輝いているからです。”  ヨハネ第一の手紙 2::8

◎命令とヨハネは言いますがこれは「戒め」とも訳せる言葉です。と言いましても厳しく律すると言うものではなく、このことによってキリスト者としての立場を確かめるのです。

◎キリスト者はイエスさまによって光の世界に入れられた存在です。その光を実感して行く世界とは神さまを愛することと同時に、兄弟を愛することだとヨハネは言うのです。

◎ここで選択が課せられます。「愛しているか、憎んでいるか」の。愛すると言う原語は本来、神さまが使われる言葉ですが、神さまに愛さられたからこそ愛する存在となるのです。キリスト者はいつもイエスさまに目を注ぎます。光はイエスさまです。このお方から目を離さないで進むのです。

◎興味深いことに、兄弟を愛する者は「つまずくことがない」vs9とあります。これは「スキャンダル」のもとの言葉が使われています。広辞苑で見てみますと「名誉を傷つけられるような不道徳な事件、不名誉な噂、不祥事、酷聞」などと説明されていますが、それらに巻き込まれることの無いように神さまは守って下さるのです。

◎神さまの愛をいつもイエスさまのお姿に見ていたいと思います、目を離して愛されている事、愛することを忘れてしまう者となりませんように。