月別アーカイブ: 2013年7月

めぐみのパンくず

“イエスは彼らに答えて言われた。「この神殿をこわしてみなさい。わたしは、三日でそれを建てよう。”ヨハネ2:19:

◎カナの婚礼において、水をブドウ酒に変えて下さった恵みの主から一転して、激しい怒りを現されたイエスさまの姿を見ます。「小羊の怒り」黙14:1です。めったに怒らず、大抵のことには腹を立てず寛容なお方が激しい怒りを現されます。これが「小羊の怒り」です。それは神の宮で不正な売買が行われていました。信仰の名目で金儲けをする人々の態度に主は怒りを現されたのです。

◎ユダヤ人たちは「こんことをされる権利のしるし」を見せて欲しい、とイエスさまにせまります。そこでイエスさまが言われたのが19節のお言葉でした。

◎エルサレム神殿はヘロデ王によってより大きく荘厳に建築修理されたものでした。実に荘厳な雰囲気を見るものに与えたことでしょう。「その神殿を壊してご覧~三日で建て上げる」とイエスさまは言われたのです。

◎イエスさまこそまことにあがめられるべき信仰の対象です。神殿ではないのです。このエルサレム神殿はやがて崩壊しそのままですが、真の神なるお方の身体は死んで後、三日目に復活されることを語られたのだと聖書は言います。

◎私たちキリスト者はこのお方に望みを置いているだけでなく、この三日目によみがえられたお方が、キリスト者の内に住んでいて下さるのです。ですから使徒パウロはコリントの教会の信者にキリスト者は「神から受けた宮である。」Ⅰコリント6:19と教えました。ですから、イエスさまと同じようによみがえるのです。ハレルヤ!

めぐみのパンくず

誰でも初めに良いぶどう酒を出し、人々が十分に飲んだころになると、悪いのを出すものだが、あなたは良いぶどう酒をよくも今まで取っておきました。”ヨハネ210:

、葡萄酒がなくなった時とはこの世の喜びが尽きる時です。そんな時、すぐに、イエスさまに相談できることは幸いですね。

◎一見冷たく見えるイエスさまの返答です。「私の時はまだだ~」と言われるイエスさまを、母マリアはわきまえた人でした。イエスさまが神であられることの認識をしっかり持ちたいと思います。マリアは「このお方の言われることは何でもしてあげてください。」と僕たちに命じたのです。

◎手伝いの人たち「水汲む僕」はきよめのしきたりの水  

80㍑~120㍑入りの6つ甕に井戸から汲んできて満たしました。4章「この井戸は深いのです」とありますが汲み続けること、継続は力なりですが僕たちは言われたことに従ったのです。6つの甕全部に水が満ちた時、変化が起こりました。

◎イエスさまが与えられる喜びは、初めの葡萄酒(この世のぶどう酒)に勝る喜びです。VS10宴会の世話役の言葉には、いろいろなことが考えられます。この世に酔っている人に、神さまを礼拝する喜びはわかりません。神さまに祈ることができる喜びもわからない。罪と滅びの世界から、罪赦され義とせられ永遠の命に入れられた喜びはイエス・キリストの花嫁とされる喜びだとは決してわかりません。なぜならこの世に酔っているからです

◎水汲む僕とはイエスさまの言われたことに従い続けて行く者です。この喜びの葡萄酒~極上の葡萄酒はどこから来たか知っている者たちなのです。喜びを汲み続けられる生涯を感謝しましょう。

めぐみのパンクズ

“イエスはナタナエルが自分の方に来るのを見て、彼について言われた。「これこそほんとうのイスラエル人だ。彼のうちにはいつわりがない。” ヨハネ1:47

◎ ヨハネ1章には5人の弟子たちの名前が出て来ます。まずヨハネ、そしてアンデレ、アンデレは兄弟のペテロをイエスさまのもとに連れて行きます。そのまた翌日の出来事として、ピリポとナタナエルがイエスさまに見出されるのです。

◎ 先ずピリポを見てみたいと思いますが、彼は何と決断力に富んだ人であろうかと思います。イエスさまがピリポを見つけ「わたしに従って来なさい」と言われるとすぐに、ナタナエルを見つけて「律法も預言者たち」も預言していた、救い主にお会いしたと告げているのです。聖書と聖書に書かれてある救い主がピタッと心にマッチする人のさいわいを思います。

さてピリポに主を教えられたナタナエル(この名はヨハネの福音書だけに出て来ます。他の福音書ではバルトロマイ)は「ナザレから何の良いものがでるだろう」と一見懐疑的なことを言います。確かに救い主がナザレから出るとの約束は聖書にはありませんでした。しかし、彼はイスラエルの行く末を本当に案じていた人でした。イチジクやオリブ、葡萄の木の下で学者たちは語り、学び瞑想したのですが、ナタナエルは真剣に救い主のことを考えて祈り、時にはもだえるほどに待ち望んでいたのでしょう。しかし「来て、そして見なさい」とピリポに言われイエスさまの方へ歩き始めた時、イエスさまの方から上のみ言葉をかけられたのです。キリスト者はイエスさまに「来て、見た」存在です。主にお会いした時のことをいつも感謝して!

めぐみのパンくず

“イエスはシモンに目を留めて言われた。

「あなたはヨハネの子シモンです。あなたを

ケパ(訳すとペテロ)と呼ぶことにします。

”         ヨハネ1:42

◎ ヨハネから、メシヤなるキリストを紹介された、ペテロと兄弟アンデレです。二人のうち最初にペテロが紹介されました。主がペテロに向かって開口一番言われたのが、上のみ言葉です。

◎ 神様は私たちの名前をただ呼ばれるのでなく、その名の中に秘めたるものを見出されるお方です。まず「あなたはヨハネの子シモンです。」と言われます。一人の人の子ヨハネであるということまず、教えられます。その人が変化して行くのです。

◎ イエスさまが全能者の目を持ってシモンを見られた時、シモンにあらずして「ケパ」でした。ケパとはアラム語でペテロのことです。イエスさまの目には漁師のシモンではなく、ケパ(ペテロ)「大岩」に映っているのです。

◎ 12弟子の中で彼はリーダーとなりました。何か新しい事の始まる前、口火を切ることが多かったのもペテロでした。だからリーダー、ペテロなのでしょうか。

◎ ペテロのペテロたるゆえんは、心の底から自分の醜さを知ることのできた人でした。(ルカ5:8)。

しかし、ペテロをペテロたらしめたのは、イエスさまに対する信仰告白です。彼は「あなたこそ、生ける神の子キリストです。」(口語マタイ16:18)とキリスト教信仰の土台たるべき告白をしたのです。この告白こそイエスさまが待ち望み期待されたことでした。キリスト者が名を呼ばれる時、そこには大きな神さまのご目的があること忘れてはいけないと思います。

めぐみのパンくず

“律法はモーセによって与えられ、恵みとまことはイエス・キリストによって実現したからである。” ヨハネ1:14

◎ 使徒ヨハネのイエスさまの紹介が続きます。イエスさまをモーセと比較するのです。

◎ まず、モーセですが、モーセと言えばエジプトで苦しむイスラエルの民を救い出し、紅海を渡らせたことで有名ですが、それと共に、シナイ山にて神から律法を与えられたことは同じように大きなことです。イスラエルの民が神に受け入れられるためには十戒に代表される戒めをことごとく守らなければなりませんでした。しかし、誰一人としてこの律法を100%守りきることはできなかったのです。律法はすべての人が、聖い神の前には罪びとであることを悟らせるるために与えられたのですね。

◎ イエスさまは罪びとを受け入れるべき「めぐみ」のお方として来て下さいました。ジョンストットと言う学者は「めぐみは罪や罪過にかかわるものであり、あわれみは罪や罪の結果として痛み悲惨さにかかわるもの」と言いましたが、イエスさまは人間の姿を取って罪びとために十字架で身代わりに死んで下さって、神からの裁きを受けて下さったのです。キリスト者はこの赦しの恵みの中にいるのです。

最後に「まこと」ですが、これは「本当のこと」という事です。イエスさまが天に帰られる前、弟子たちに天の住まいの話をされました。疑い深いトマスは「どこへいらっしゃるのかわかりません」と言います。その時、おっしゃた言葉の中に「我は・・真理なり」と言われました。イエスさまの語られる言葉に偽りは何一つないのです。このお方に信頼し、恵みとまことに進む信仰者でありますように。