日別アーカイブ: 2016年11月13日

めぐみのパンくず

エルサレムよ。わたしはあなたの城壁の上に見張り人を置いた。昼の間も、夜の間も彼らは決して黙っていてはならない。主に覚えられている者たちよ。黙り込んではならない。”

                 イザヤ書62:6

◎この章には「黙っていない」「黙りこまない」「黙っていてはならない」「黙り込んではならない」vs1、6、7と同じような言葉が5回出てきます。これは、神の側においても、キリスト者においても語られている祈りについてなのです。

◎まず神はシオンのためエルサレムのために黙っていないと言われます。 vs1口語訳、文語訳には「休まざるべし」と続きます。聖書の神は休むことなく祈り続けて下さるのです。神が祈り続けると言うと不思議な気がしますが、三位一体の父なる神、御子なるイエスさま、聖霊なる神は、キリスト者のために祈り続けて下さっているのです。イエスさまは「キリストはいつも生きていて、彼らのために取りなしておられる」ヘブル7:25.また御霊は「言いようもない深いうめきによって私たちのためにとりなしてくださいます」ロマ8:35と。

◎キリスト者も祈るのです。神の国を、ご支配を待望して。見張り人とは牧師、伝道者に比べられますでしょうか。主に覚えられている者とは、全てのキリスト者です。「黙り込んではならない」祈りを忘れてしまってはならないというのです。

◎祈りの原点は、み言葉に触れるところから出てくると思います。み言葉に触れていなければ神に近くあることが意識できないからです。聖書を読み祈ることを怠ってはならいと思います。