日別アーカイブ: 2016年9月4日

めぐみのパンくず

彼は痛めつけられたが、それを忍んで口を開かず、ほふり場に引かれて行く小羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。”  イザヤ書53:7

◎イザヤ書の中で最もよく知られ、読まれている章が53章です。「苦難の僕」とか「受難の僕」と言われるところです。旧約聖書を堅く信じているユダヤ教の人たちがこの章を読みますと、しばしば涙を流すのです。そして「これは誰のことですか」と聞きますと「私たちはこのお方を待ち望んでいるのです。」と答えるそうです。

◎キリスト者は「苦難の僕」が誰であるか知っています。人類の罪のため、父なる神の御心に従って黙々とゴルゴダの丘へ歩まれたイエスさまだということを。

◎イエスさまは「悲しみの人」でした。自己憐憫ではありません。人間の罪がいかに神との間を分離していたかご存じであり、ゲッセマネの園で苦き杯を受ける決意を神の前に表されたイエスさまは、ポンテオピラトや大祭司の前で裁かれなさったときも微動だにせず、人々が嘲笑と罵詈讒謗を浴びせた時にも、黙って十字架の道を歩まれたのです。

◎しかしながら、この章はイエスさまの死だけを伝えているのではありません。墓に葬られなさいますが、よみがえりなさることをも記しています。“彼は末永く、子孫を見ることができる”Vs10は復活を現しているのです。Vs12では「そむいた人たちのとりなしをする」とあります。天上で今も聖徒たちのために、全世界のためにとりなしておられるイエスさまの預言です。ヘブル7:25