めぐみのパンくず

あなたがたの切り出された岩、掘り出された穴を見よ。”     イザヤ書51章1節

◎キリスト者は信仰によって義とされたことを信じるものです。しかしながらそこにとどまっているばかりではありません。義とされたことの内容をより深く知って行く存在でなければなりません。

◎預言者イザヤは、「切り出された岩、穴を見よ」と言いました。この世に埋もれていた私たちの存在を思い出せと言うのです。神さまは見事な彫刻師となってごつごつした岩のような者を掘り出し神の作品に仕立てあげて下さるのです。ミケランジェロやロダン以上のわざです。そのモデルがアブラハムとサラに譬えられています。「彼ひとりを呼び出し、彼を祝福し・・」vs2と。

◎神の作品は神に聴従します。Vs1,4,7.4節の「わたしに心を留めよ、わたしに耳を傾けよ」とありますが英訳では「聞け、わたしの民、わたしに耳を与えられた者」とあります。神に彫刻されたのは、目的があるからです。神の御声を聞く存在です。情報量がますます多産の時代、それゆえにこそ、神の御声が消されることがありませんように。

◎最後に、イザヤが繰り返し言うことですが、「神さまは慰めてくださるお方だ」と。ここでの慰めは人間関係の中でかけられている言葉です。「あなたは何者なのか。死ななければならない、人間」を恐れるとは。「それは草にも等しい」存在と40章で語られたみ言葉を繰り返します。

またキリスト者は、神のみことばを口に置いている者、全能者の陰に身を隠す者とイザヤは言います。「何者であるか」しっかり確かめたいと思います。

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