日別アーカイブ: 2016年4月17日

めぐみのパンくず

慰めよ。慰めよ。わたしの民を。」とあなた方の神は仰せられる。”      イザヤ書40:1

◎イザヤ書の後半に入ります。前半39章までは旧約を表し、神さまの裁きが中心ですが、40章からは新約の恵みに入ります。その始まりのことば、「慰めよ。慰めよ。私の民」とは旧約の聖徒たちであり、新約時代のキリスト者に向かってかけられる言葉です。

◎もう少し「慰め」について見ますと、ナーホームと言うヘブル語のことばですが、これは「悲しむ」「悔い改める」と言う意味があります。イエスさまが山上の垂訓で「悲しんでいる者は幸いである。彼らは慰められるであろう」と言われましたが、悲しみ、特に罪に悲しんでいた者への慰めです。ユダヤの人々は神さまに対して不信になり罪を犯し、その結果、バビロン捕囚(70年)という悲しい時を過ごさなければなりませんでした。

◎慰めのために「道を整えよ」と言われます。悔いらため(方向転換して)でこぼこの道をまっすぐににせよと言われるのです。これはバプテスマのヨハネの出現の予告となっているところですが、ヨハネは悔い改めを民に迫りました。

◎キリスト者は救われてからも真っ直ぐな道ばかり歩むとは限りません。谷あり山ありです。落ち込んだり、高慢になったり。しかし、主の呼びかけに応じる時、その信仰の道筋はまっすぐに整えて下さるのです。

◎確かに導いて下さる主は、羊飼いのように、キリスト者の群れを飼い、子羊を大切に守って下さるのです。Vs11