公平と正義
イザヤ書1章24~31節
シオンは公正によって贖われ、その町の立ち返る者は義によって贖われる。27節
「贖われる」(あがなわれる)とは、罪を犯したことに対して代償していただくということです。キリストの十字架は神の贖いの御業です。私たちの罪は、神の子イエスさまのいのちをもってしか贖うことの出来ない大きなものでした。主の十字架は、私たちの罪の大きさを現しています。また神さまは御子を死なせてまでも私たちを贖いたいと願われました。主の十字架は、神さまの愛の大きさを現しています。私たちの罪の大きさと神さまの愛の大きさが現れているのが主の十字架なのです。私たちは十字架の主を仰ぎ見るとき、自らの罪の大きさと神の愛の大きさを学びます。
その主は十字架ののち三日目に復活されました。今私たちとともにいてくださいます。私の罪のために肉が裂かれ死が流されたその主がともにいてくださいます。その主を前にして私たちは主の喜ばれる道を歩もうとの願いをいただきます。
「公平」と「義」によって贖われる、とイザヤは語りました。主の十字架は神の公平と義の現れです。この「義」は新共同訳で「恵みの御業」と訳されていました。神の義と神の恵みは一つです。救いにあずかるということは、神さまとの正しい関係の中に入れていただき、神さまの恵みによって生かされていくことです。