決断(2026年6月7日の週報より)

「しかし、神の人よ。あなたはこれらのことを避け、義と敬虔と信仰、愛と忍耐と柔和を追い求めなさい。」

第一テモテ6章11節

牧師であるテモテを、パウロは「神の人」と呼びます。神さまに仕える人、神さまがその御手の中に握りしめていてくださる人、神さまのものとされている人。私たちイエスさまを信じる者は、すべて神の人と呼ばれてもよいのだと思います。主にある者はみな神の人です。

これらのことを避けよ、とパウロは語ります。これらのこと、とはこの場合前節までに記されている金銭を愛すること、欲望のままに求めることです。衣食があればそれで満足せよとパウロは語りました。

義と敬虔と信仰、愛と忍耐と柔和、を追い求めよ、とパウロは語ります。六つの言葉が三つずつ組みになって書かれているのですが、原文でもこのような書き方がされています。義と敬虔と信仰、そして愛と忍耐と柔和、はそれぞれセットなのかもしれません。神さまとの正しい関係が築かれてこそ敬虔に生きることができ信仰に生きることが可能となる。あるいは神さまとの関係のない敬虔さや柔和さはほんとうの敬虔さ、柔和とは言えない。また愛があって忍耐も柔和も生きてくる。愛がなくては忍耐はいたずらな我慢であり、柔和も愛がないなら生きる力に結びつかない。

義、敬虔、信仰、愛、忍耐、柔和。これらを追い求めよというのですから、これらは追い求めるものなのだと思います。人生において完了するものではなく、生きる限り追い求めるもの。自転車は漕ぐのを止めるとぱたんと倒れてしまいます。それを同じように、完了したとして追い求めることを止めてしまうならば、人生がストップしてしまう。生きているということは成長し続けるということです。完成は主の再臨のときであることを見失うことなく、日々追い求めていく者でありたいと思います。

2026年06月07日(日)週報より