2024年5月12日聖日礼拝

動画(30分51秒)

聖書 使徒の働き11章1節〜18節
説教 「どんな状況でも主に従う」
説教者 タン・ショーン師


今月の聖句

出エジプト記20章2節〜3節

わたしは、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出したあなたの神、主である。あなたには、わたし以外に、ほかの神があってはならない。


今週の聖句

ペテロの手紙第一5章10節

あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあって永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみの後で回復させ、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。


創世記からの黙想 創世記19章

創世記19章の黙想です。18章でアブラハムを訪れたのは3人でした。ひとりは受肉前のイエス様。アブラハムはその方にロトがソドムの町とともに滅びないように必死でとりなしの祈りをしています。その町に10人の神を敬う正しい人がいるならその町を滅ぼさないでください、と最後の力を振り絞って祈りました。主なる神様は、「滅ぼすまい。その十人のために。」と約束されました。10人の祈る人、神を敬う正しい人がいるなら、神様はその町を滅ぼさないと宣言しています。19章で二人の御使いはソドムを訪れています。ソドムのロトは彼らを家に招きました。アブラハムは最高のもてなしをしましたがロトは質素な食事の象徴のパン種を入れないパンで客人をもてなしています。以前アブラハムと別れる時、ロトは肥沃な土地を選びました。信仰より利益を取るロトの生き方がもてなしにも現れています。二人の御使いは、ソドムゴモラの町が火と硫黄で焼かれ滅びるので、この町から逃げなさい、命がけで逃げなさい、うしろを振り返ってはいけない、立ち止まってはいけない、山に逃げなさい、と強く勧めました。ためらっているロトの家族を御使いは手を引いて強制的に逃げ出すようにしました。ロトの娘の夫たちは、これをたわごとと思って逃げなかったので滅んでしまいました。ロトの妻は前を歩まれる神様を見ないで後ろにある財産に未練をもって振り向いたため、塩の柱になってしまいました。ロトと二人の娘は山の洞穴暮らしをしました。ロトの二人の娘は父ロトに酒を飲ませ、父によって身ごもって子孫を残すようになりました。ロトはかろうじて救われ、ヤコブ書では義人ロトと書かれています。主のあわれみ、アブラハムのとりなしの祈りで天国に入れていただいたあわれみの代表です。神様と財産、住む場所、旅人への対応、家族で集まって礼拝をする、これらを積み重ねて祝福勝利の人生を送って天に凱旋したいものです。アブラハムのとりなし以上のイエス様のとりなしの祈りのあることを感謝しましょう。あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈った、と主イエス様は祈っていてくださいます。感謝。

2024年5月5日聖日礼拝

動画(35分42秒)

聖書 使徒の働き2章29節〜36節
説教 「神の右に上げられたイエス」
説教者 高橋博師


今月の聖句

出エジプト記20章2節〜3節

わたしは、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出したあなたの神、主である。あなたには、わたし以外に、ほかの神があってはならない。


今週の聖句

ローマ人への手紙8章34節

だれが、私たちを罪ありとするのですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、しかも私たちのために、とりなしていてくださるのです。


創世記からの黙想 創世記18章

主はマムレの樫の木のそばで、アブラハムに現れた。彼は日の暑いころ、天幕の入口にすわっていた。彼が目を上げて見ると、三人の人が彼に向かって立っていた。」(1~2節)三人の一人は受肉前のキリスト、二人は天使。アブラハムはひれ伏して迎えています。アブラハムは、最高のもてなしをしています。3セア(22リットル)の大量の上等の小麦粉。柔らかい子牛の肉、凝乳、牛乳、などで最上のもてなしをしています。「主に不可能なことがあろうか。わたしは来年の今ごろ、定めた時に、あなたのところに戻って来る。そのとき、サラには男の子ができている。」(14節)奇跡的なサラの出産の告知。アブラハム85歳の時アブラハムはハガルによるイシュマエル出産と言う不信仰な事件を起こしています。13年の悔い改めの期間が終わり「主に不可能なことがあろうか。」とサラの妊娠とイサク誕生が告知されています。3人はアブラハムを伴ってソドムを見下ろす所へ登って行きました。「主はこう考えられた。わたしがしようとしていることを、アブラハムに隠しておくべきだろうか。」(17節)義なる神の厳しい告知がされます。ソドム、ドモラの罪を裁くために主は下って来られました。アブラハムの心に衝撃が走りました。ソドムゴモラの中に不肖の甥ロトの家族が住んでいる。アブラハムは主に嘆願しました。「もしや、その町の中に50人の正しい者がいるかもしれません。そこに50人の義人がいたら滅ぼさないでください。」「主は答えられた。もしソドムで、わたしが50人の正しい者を町の中に見つけたら、その人たちのために、その町全部を赦そう。」ソドムの人口は何人だったでしょう。そこに50人、主に祈る人がいたら、その人たちのために、その町全部を赦そう、と主は宣告しています。このアブラハムの祈りは続き「彼はまた言った。主よ。どうかお怒りにならないで、今一度だけ私に言わせてください。もしやそこに十人見つかるかもしれません。すると主は仰せられた。滅ぼすまい。その十人のために。」(32節)10人の祈る聖徒がいるなら、その町全部を赦そう。少人数でも、祈る民によってその町を赦してくださる主の憐みです。一家に1人でも祈る人があればその家族は祝福されます。学校、会社、町内で少数のクリスチャンであっても、その人の祈りのゆえに滅ぼすまい、と宣告してくださる主を覚えましょう。家族、親族、町内、職場、学校のために執り成しの祈りを続ける主の器となりましょう。