2025年5月25日聖日礼拝(バイリンガル)

動画(38分12秒)

聖書 使徒の働き19章11節〜20節
説教 「聖霊の奇跡的な働き」
説教者 タン・ショーン師
通訳 リュウ・ホイイン師


今月の聖句

詩篇51篇17節

神へのいけにえは砕かれた霊。打たれ砕かれた心。神よあなたはそれを蔑まれません。


今週の聖句

エペソ人への手紙3章14節〜16節

こういうわけで、私は膝をかがめて、天と地にあるすべての家族の、「家族」という呼び名の元である御父の前に祈ります。どうか御父が、その栄光の豊かさにしたがって、内なる人に働く御霊により、力をもってあなたがたを強めてくださいますように。


ルカの福音書からの黙想 ルカ9章後編

ルカ9章51節からイエス様は御顔をエルサレムに向け、毅然として進んで行かれます。9章はルカ福音書のターニングポイント、分水嶺です。ここからイエス様の弟子訓練にも変化が見られます。世俗の価値観の影響を受けている弟子たちの間で「誰が一番偉いのか」と言うの議論が起ったとき、イエス様は「だれでも、このような子どもを、わたしの名のゆえに受け入れる人は、わたしを受け入れるのです。また、だれでもわたしを受け入れる人は、わたしを遣わされた方を受け入れるのです。あなたがた皆の中で一番小さい者が、一番偉いのです。」(48節)と教えておられます。イエス様に従う、イエス様を受け入れる証し、証拠を教えておられます。イエス様が受け入れている小さい幼子、一番小さい者を受け入れることはイエス様を受け入れている証しです。イエス様の十字架の救い、永遠の命を共有する共同体の生き方であります。さらにこのイエス様にある共同体の生き方を57~62節で3人の人との問答を通して教えて、弟子の覚悟をイエス様は教えています。第一は、「ある人がイエスに言った。あなたがどこに行かれても、私はついて行きます。イエスは彼に言われた。狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕するところもありません。」(57~58節)イエス様に従う事は天国を目指す旅人です。天国に於いて安息することを教えています。第二の人にわたしに従って来なさいと言われました。その人は「まず行って、父を葬ることをお許しください。イエスは彼に言われた。死人たちに、彼ら自身の死人たちを葬らせなさい。あなたは出て行って、神の国を言い広めなさい。」(59~60節)親孝行と言う大切な関わりに生きていますが親のお葬式も神の国を広める機会とすることを教えています。第三の人が「主よ、あなたに従います。ただ、まず自分の家の者たちに、別れを告げることをお許しください。」と言った時に「イエスは彼に言われた。鋤に手をかけてからうしろを見る者はだれも、神の国にふさわしくありません。」(61~62節)神の国の畑で神のことばの種まきに召されました。家族であってもこの召しを理解され賛成するとは限りません。人の理解、承認に振り回されないで、主の御心に毅然と進むことを教えています。イエス様は主に従う者を見捨てられるお方ではありません。アーメン。

2025年5月18日聖日礼拝

動画(49分21秒)

聖書 ルカの福音書9章46節〜50節
説教 「一番偉い人」
説教者 高橋 博師


今月の聖句

詩篇51篇17節

神へのいけにえは砕かれた霊。打たれ砕かれた心。神よあなたはそれを蔑まれません。


今週の聖句

ルカの福音書9章48節

だれでも、このような子どもを、わたしの名のゆえに受け入れる人は、わたしを受け入れるのです。また、だれでもわたしを受け入れる人は、わたしを遣わされた方を受け入れるのです。あなたがた皆の中で一番小さい者が、一番偉いのです。


ルカの福音書からの黙想 ルカ9章中編

さて、天に上げられる日が近づいて来たころのことであった。イエスは御顔をエルサレムに向け、毅然として進んで行かれた。」(9章51節)この時からイエス様は十字架への道を明確に毅然として歩み始めておられます。しかし弟子たちにはイエス様の心境は理解出来ていません。ペテロは山上でイエス様の姿が変わったときに「先生。私たちがここにいることはすばらしいことです。」何時までも地上のイエス様と一緒にいることを期待しています。ルカ後半ではこのような弟子たちに十字架に架かるメシヤ、苦難の道を歩みしもべとなるメシヤ、復活の力により罪に打ち勝つ力を与えるメシヤを理解させる指導訓練が始まって行きます。ルカ9章の半ばにおきましてイエス様はこのような思いを内に秘めて3つのことを教えておられます。「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」(20節)ペテロは「神のキリストです。」とすばらしい答え、信仰の告白をしています。イエス様は神であられますが私たちを救うために人間の姿をとられ、人となって下さったメシヤ、キリストと信仰を告白することは、ペテロを初めとしてすべてのキリスト者の信仰の土台です。ペテロは第一の問題はクリヤーしました。第二の問題「人の子は多くの苦しみを受け、長老たち、祭司長たち、律法学者たちに捨てられ、殺され、三日目によみがえらなければならない、と語られた。」イエス様は捨てられ、殺され、苦しまれ、復活されることを予告されました。ペテロはこの時苦しまれるメシヤが理解出来ませんでした。復活されたイエス様に出会いペンテコステの時に聖霊を受けて十分に理解出来るようになりました。第三の課題は「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。自分のいのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを救うのです。」(23~24節)イエス様の苦しみだけではなく、弟子たちも自分を捨てて十字架を負って従って来なさいと言う課題です。これも弟子たちはこの時理解出来ませんでした。イエス様は誰か、と言うメシヤ像を正しく知ることが弟子たちの課題です。福音書の後半は弟子たちが苦しみ復活するメシヤ理解の焦点を合わせて弟子の指導訓練にあたっておられます。その訓練、体験の第一番が28節から始まる山上でのイエス様の変貌を3人の弟子たちが目撃体験をすることです。イエス様を深く、霊的に、体験的に理解して生きましょう。