2024年9月15日聖日礼拝

動画(39分10秒)

聖書 ピリピ人への手紙1章21節〜30節
説教 「生きることはキリスト」
説教者 高橋 博師


今月の聖句

コリント人への手紙第二5章17節

だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。


今週の聖句

コリント人への手紙第二5章1節

たとえ私たちの地上の住まいである幕屋が壊れても、私たちには天に、神が下さる建物、人の手によらない永遠の住まいがあることを、私たちは知っています。


創世記からの黙想 創世記37章

創世記37章から創世記の最後までヨセフの波乱万丈の人生が書かれています。ヨセフの悲劇の原因は、父ヤコブの偏愛の罪です。ヨセフはヤコブの罪を刈り取って苦しみの人生を送っています。しかしこれが苦難だけで終わらず、飢饉からの救済、兄弟の和解、無限に赦す神の愛が現されていきます。エジプトに奴隷として売られた時「ヨセフは17歳」(2節)、ヨセフがエジプトの総理大臣になった年は30歳(41章46節)、豊作の7年、飢饉の7年の後、およそ50歳くらいの時に兄弟、また父ヤコブとの再会を果たしています。17歳の未熟なヨセフの成長物語、聖化の進展、神様の取り扱いのドラマと読むことができます。父ヤコブの蒔いた罪は、私たち罪ある人間のわざです。罪人のなしたことを神様はこのように完成してくださる聖書を読むときに、私たちは希望を持つことができます。「父の妻ビルハの子らやジルパの子らと一緒にいた。ヨセフは彼らの悪い噂を父に告げた。」(2節)正室レアの子どもと側室ビルハ、ジルパの子の確執に最愛の妻ラケルの子ヨセフが巻き込まれています。ヤコブはヨセフにそでつきの長服を着させて自己満足をして、兄たちの憎しみを加速させています。このような家庭内の空気の読めない甘やかされたヨセフは見た夢を二度まで兄たち、父に語っています。兄たちはシェケム羊の群れを飼っていました。そこへ父の使いとして訪れたヨセフが事件に会っています。「彼を殺そうとたくらんだ。」(18節)「あれの夢がどうなるか見ようではないか」(20節)夢のことが怒りの材料になっていたようです。ルベンはあの子のいのちを打ち殺すのはやめよう、とヨセフを救い一緒に父のところに帰る心を持っています。他の兄弟は殺す提案をしています。ユダは殺すことには反対して、奴隷として売り飛ばす提案をしています。結果的にユダの提案通り売られ、その結果夢を解き、飢饉からの救済、兄弟の和解、神様の赦しと愛が示されるようになります。しかしユダはヨセフを売り飛ばした罪意識を最後まで持っています。このしもべをあの子の代わりに奴隷にしてください(44章33節)とのことばにも現れています。罪人たちの問題があっても神様はご計画を実現されます。ヨセフは訓練をされなければなりませんでした。苦しみを通らなければ夢は実現しませんでした。しかし苦しみの中に神様は力強く働いておられます。希望をもって主を信頼して行きましょう。

2024年9月8日聖日礼拝

動画(35分28秒)

聖書 使徒の働き13章13節〜23節
説教 「主からの励ましの言葉」
説教者 タン・ショーン師


今月の聖句

コリント人への手紙第二5章17節

だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。


今週の聖句

イザヤ書49章6節

あなたがわたしのしもべであるのは、ヤコブの諸部族を立たせ、イスラエルのうちの残されている者たちを帰らせるという、小さなことのためだけではない。わたしはあなたを国々の光とし、地の果てにまでわたしの救いをもたらす者とする。


創世記からの黙想 創世記36章

これはエサウ、すなわちエドムの歴史である。」(1節)エサウのその後が丁寧に書かれています。イサクとリベカの双子としてエサウとヤコブはリベカの胎から生まれました。ヤコブとエサウは同じところにいました。やがてエサウは長子の権利を軽んじて一杯のレンズマメと交換してしまいます。結婚も信仰に基づく結婚ではなく、二人のカナン人の女性とイシュマエル人の女性を妻にしています。神様の祝福、長子の権、結婚に置いても信仰を無視した行動を取っています。33章でエサウは20年ぶりに弟ヤコブとの再会をしています。ヤコブは祈りに祈って再会をしています。エサウはヤコブから贈り物を受け取ると、さっさとセイルに帰っています。ヤコブがどのように取り扱われたかの証しにはまったく興味を示さずに贈り物にだけ関心があるようです。エサウの子孫エドム人はイスラエルを何度も何度も苦しめて来た民でした。モーセがイスラエルの民を率いて旅をしている時も、エドムの領土を通過させてください、家畜が水を飲めば代価を払います、と依頼したとき、大軍を率いてモーセの依頼を拒否しています。そのために民は迂回しなければなりませんでした。イエス様がお生まれになった時の王はヘロデ大王でした。ヘロデ家はエドム人の子孫でした。ヘロデ大王は生まれたばかりのイエス様を殺そうとしてベツレヘムの2歳以下の男子の赤ちゃんを皆殺しにしています。ヘロデ大王の息子、ヘロデアンティパスは、バプテスマのヨハネを殺し、ピラトと一緒になってイエス様を十字架につけています。ヘロデアグリッパは12弟子のヤコブを殺し、高ぶったため、虫にかまれて死んでいます。エサウの子孫はアブラハムを先祖に持っていながら、神様の祝福を受けないばかりか、祝福の妨害者の民族になっています。ヤコブとエサウは同じところにいました。二人ともずるい罪人でした。神様への対応の違い、信仰を大切にするか否かで、エドム人とイスラエルという大きな違いになって行きました。毎日の信仰の積み重ね、小さなことでありましても神様との交わりを大切にする人生とそうでない生活の差は甚大であります。しかし、神様はこのエサウの子孫、エドム人も覚えておられ、彼らの悔い改めを待っておられます。36章で信仰から離れたエサウの子孫を丁寧に書いておられる神様は、信仰から離れた方々のことを、断腸の思いで立ち返りを待っておられます。私たちも同じ思いで神様から離れている方々のために祈りましょう。