2024年9月25日聖日礼拝

動画(24分38秒)

聖書 エペソ人への手紙2章1節〜10節
説教 「めぐみの贈り物」
説教者 リュウ・ホイイン師


今月の聖句

コリント人への手紙第二5章17節

だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。


今週の聖句

エペソ人への手紙2章8節

この恵みのゆえに、あなたがたは信仰によって救われたのです。それはあなたがたから出たことではなく、神の賜物です。


創世記からの黙想 創世記39章

ヨセフがエジプトへ連れて行かれたとき、パロの廷臣で侍従長のポティファルというひとりのエジプト人が、ヨセフをそこに連れて下って来たイシュマエル人の手からヨセフを買い取った。」(1節)エジプトに売り飛ばされたヨセフの奴隷生活が始まります。エジプトでのヨセフの生活は「主がヨセフとともにおられたので、彼は幸運な人となり、そのエジプト人の主人の家にいた。彼の主人は、主が彼とともにおられ、主が彼のすることすべてを成功させてくださるのを見た。」(2~3節)と表現され「主人が彼に、その家と全財産とを管理させた時から、主はヨセフのゆえに、このエジプト人の家を、祝福された。それで主の祝福が、家や野にある、全財産の上にあった。」(5節)ヨセフを祝福の基、発信地と主は変えてくださいました。37章のヨセフは、甘やかされた自己中心の兄弟からの嫌われ者でした。それがエジプトに行ってから、主がヨセフとともにおられ、ヨセフのゆえにエジプト人の家を祝福する器と変えられました。ヨセフの中にどんな変化があったのかは具体的には書かれていません。孤独の中、自己中心の罪を悔い改め神様にだけ頼る信仰に生きる決心をしたのでしょう。ヨセフの父ヤコブも孤独な中で悔い改め信仰に生きています。孤独な中、人間に頼ることが出来なくなった時、心底から神様におすがりし、信頼できるのは神様だけと言う信仰が養われる時になります。人から捨てられる時、人が当てにならない時、人間の力の弱さ限界を感じる時、苦しい時ですが神様の無限の力と愛、ご計画に目覚める時となります。エジプトに来た時のヨセフはだれも人間に頼ることは出来なかった。ただ主なる神様に頼るより外はなかった。この主にだけ頼るヨセフとともに、主は歩んでくださり、ヨセフだけでなくヨセフのゆえにエジプトの家を祝福してくださいました。ポテファルの奥様に裏切られて牢に入れられても主が共にいてくださいました。献酌官長の夢を解き、献酌官長はもとに地位に戻り恩人ヨセフのことをすっかり忘れてしまいました。人が忘れて、見捨てても全能の神様はお忘れになることはありません。エジプト王の夢を解くため牢獄から王宮に召され、やがてエジプトの総理大臣になり、エジプトの救済だけでなく、自分を売った兄たちを飢饉から救い出す器に導かれて行きます。主は主を信じる私たちとともにいてくださいます。主のなさることに期待して希望と信仰を持って歩みましょう。シャローム。

2024年9月22日聖日礼拝

動画(51分28秒)

聖書 マタイの福音書8章5節〜13節
説教 「癒しの主イエス」
説教者 エドウィン・ウォン師
通訳 リュウ・ホイイン師


今月の聖句

コリント人への手紙第二5章17節

だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。


今週の聖句

ペテロの手紙第一2章24節

キリストは自ら十字架の上で、私たちの罪をその身に負われた。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるため。その打ち傷のゆえに、あなたがたは癒やされた。


創世記からの黙想 創世記38章

38章には37章から始まったヨセフ物語が転じてユダの家庭のどろどろした罪深い物語が書かれています。聖書から除きたいような醜い事件ですがマタイ1章の冒頭、アブラハムの子、ダビデの子、イエス・キリストの系図の開始早々「ユダがタマルによってペレツとゼラフを産み」(3節)と創世記38章の醜態の結果が淡々と記載されています。ユダはヤコブの4男。すでにルベンがヤコブのそばめの所に入って長子の資格を失い、次のシメオン、レビは割礼を利用してシェケムの人を虐殺したので資格を失い、ユダがアブラハムからイエス様を世に送る祝福の継承者となりました。この重大な使命をいただきながらそれに献身していない自己中心のユダを神様が取り扱われるドラマです。ユダにはエル、オナン、シュアと言う3人の男の子がいました。長男エルにタマルという妻が与えられました。エルが主を怒らせる罪を犯したのでエルは子を残さないまま死にました。レビラート婚という律法に従ってタマルはエルの弟オナンと再婚しました。オナンも主を怒らせる罪を犯したので死にました。当然タマルは三男シェラと再婚するはずであります。タマルと結婚するならシェラも又死ぬのではないかと根拠のない恐怖を恐れたユダはタマルとシェラとの再婚をさせませんでした。タマルは子孫を残す使命を果たすために非常手段に打って出ました。タマルは遊女の姿を装って義父ユダによってみごもって双子ペレツとゼラフを出産しました。このユダの醜態のような出産劇をルツ記4章12節では「あなたの家が、タマルがユダに産んだペレツの家のようになりますように。」「あなたの跡を絶やさなかった主がほめたたえられるように。」(ルツ4章14節)と書かれています。アブラハムの子孫を絶やさない、継承する使命にタマルは献身しています。アブラハムの子孫から罪を取り除く神の子羊イエス様が生まれる。このアブラハムの子孫を残す、祝福の糸を絶やさないという使命に献身的に生きるタマルの尊さを創世記は教えています。ヤコブは祝福の継承者でないヨセフを偏愛して祝福の継承と言いう使命をおろそかにしていました。ユダも祝福の継承者となったものの、タマルをシェアの嫁にしないことによって恥ずかしい情けない形でペレツと言う継承者を得ることになりました。この記事を読みながら、信仰の継承、祝福の継承と言う使命の大切さを覚え、祈りを新たにしたいと思います。教会に与えられた祝福の恵み、私たちのうちに与えられている神様の恵みを何よりも大切にして継承して行きたいと思います。