動画(41分33秒)
聖書 使徒の働き16章6節〜15節
説教 「聖霊に従う人生」
説教者 タン・ショーン師
今月の聖句
サムエル記第一17章37節
獅子や熊の爪からしもべを救い出してくださった主は、このペリシテ人の手からも私を救い出してくださいます。
今週の聖句
ガラテヤ人への手紙5章25節
私たちは、御霊によって生きているのなら、御霊によって進もうではありませんか。
ルカの福音書からの黙想 ルカ4章 中
イエス様は荒野での悪魔の誘惑に勝利をされて、ガリラヤに帰られ、ヨセフの家庭に育ち大工として働いていた故郷のナザレの会堂でイザヤ書61章から説教をされました。「主の霊がわたしの上にある。貧しい人に良い知らせを伝えるため、主はわたしに油を注ぎ、わたしを遣わされた。捕らわれ人には解放を、目の見えない人には目の開かれることを告げ、虐げられている人を自由の身とし、主の恵みの年を告げるために。」このイザヤ書の言葉を朗読された後、「あなたがたが耳にしたとおり、今日、この聖書のことばが実現しました。」とイエス様は人々に向かって証言されました。「主はわたしに油を注ぎ」とイエス様は御自身メシヤであることを宣告されました。会堂にいたある人々はイエス様がメシヤである事を確信して神様をほめたたえました。一方他の人々は大工のヨセフの子として育ったイエス様を「この人は大工ではないか。マリアの子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄ではないか。その妹たちも、ここで私たちと一緒にいるではないか。こうして彼らはイエスにつまずいた。」(マルコ6章3節)イエス様は神であられましたが、人となって下さり、貧しい大工の子となって下さった、人類への愛、全き謙りをナザレの村人は信じることが出来ませんでした。「まことに、あなたがたに言います。預言者はだれも、自分の郷里では歓迎されません。」(24節)その時までイエス様は神の子としての力、奇跡をされませんでした。しかし「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。」(ヨハネ1章14節)奇跡はされなかったが、幼いときより神の子としての恵みとまことに満ちた方であり、近くの人はこの輝きに気がつかないまま過ごしていました。それは旧約の預言者エリヤ、エリシャも近くの同胞イスラエルから神の人と認識されず、エリヤを神の預言者と信じて、最後の残された粉でパンを作りエリヤにささげたのは異邦人シドンのツァレファテの女だけでした。エリシャを預言者と信じ、重い皮膚病に冒されていたシリア人ナアマンはしもべの忠告に従ってヨルダン川に7度身を浸して癒しの恵みに与っています。しるしを見て信じるのではなく、イエス様のことば、証しを信じて受け入れる者が神の子とされる恵みに与ります。神のことばの恵みに浸りましょう。