2025年10月5日聖日礼拝

動画(39分23秒)

聖書 ルカの福音書12章35節〜48節
説教 「時を知る」
説教者 高橋 博師


今月の聖句

ネヘミヤ記8章10節

主を喜ぶことは、あなたがたの力だからだ。


今週の聖句

ローマ人への手紙13章11節〜12節

さらにあなたがたは、今がどのような時であるか知っています。あなたがたが眠りからさめるべき時刻が、もう来ているのです。私たちが信じたときよりも、今は救いがもっと私たちに近づいているのですから。夜は深まり、昼は近づいて来ました。ですから私たちは、闇のわざを脱ぎ捨て、光の武具を身に着けようではありませんか。


ルカの福音書15章 3つの失われた物語の黙想

ルカ15章には三つの失われたもののたとえが語られています。第一は迷った小羊。第二は失われた銀貨。第三は放蕩した息子。3つの失われた物語は、あるべき正しい健全な関係が壊れている物語です。羊飼いと小羊の関係が壊れて小羊は荒野で危険な状況にいます。銀貨も失われて家具のうしろやじゅうたんの下にあれば役に立ちません。親に逆らって家出をして放蕩して全財産を失った息子は、子と呼ばれる資格を失っています。三つの譬え話しは正しい関係の崩壊の問題を教えています。これは罪人なる人類は神様との正しい関係を失った状態であることを教えています。罪とはギリシャ語で「ハマルティア」と言い、的外れ、と言う意味です。人は本来、創造者、支配者、無限の愛をお持ちの霊なる神様と親しい、愛の信頼関係を持っていました。人は主に似せて創られたことを喜び、主との交わりがありました。悪魔は蛇の姿をとってエバを誘惑して、神様のことばに背いて善悪を知る知識の木の実を食べさせました。エバの勧めでアダムも食べ、その時二人の目が開かれて、裸である事を知って、イチジクの葉っぱを綴り合わせて腰の覆いを作り、アダム、エバは責任をなすりあっています。今まで神様との関係が正常でしたが、サタンの誘惑で神様に背いたために、神様との信頼関係が崩れ破壊され、自分を隠さなければならない存在になってしまいました。3つの失われた物語は、羊や銀貨、息子の存在は健全であっても本来あるべき関係が喪失、破壊しているためにそれぞれ危険、無価値、破壊的な存在になっています。この神様との関係の壊れた罪人を愛して、捜して、見つけ出して、抱きかかえて、赦し、受け入れ、愛し、回復される父なる神様の愛の大きさ、豊かさが語られています。神の子イエス様はこの神と人との関係修復のために、野を越え、山を越えて迷った小羊を捜し、見つけるまで歩き続け、見つけたらしかることなく、弱りおびえている小羊を易しく抱きかかえ、肩に担いで、家にまで戻り、近所の人たちを集めて喜びを共有します。イエス様は一人の罪人の救いをこのように喜んでくださいます。シャローム。

2025年9月28日聖日礼拝

動画(50分22秒)

聖書 使徒の働き20章17節~24節
説教 「聖霊に縛られて」
説教 タン・ショーン師
通訳 リュウ・ホイイン師


今月の聖句

ヤコブの手紙1章21節

ですから、すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、心に植えつけられたみことばを素直に受け入れなさい。みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます。


今週の聖句

ヘブル人への手紙10章24節

また、愛と善行を促すために、互いに注意を払おうではありませんか。


ルカの福音書14章の黙想 2 神の祝宴への招き

ルカ14章で色んな人が食事に招かれています。この食卓への招待を通して、イエス様は「天国への招待」を教えています。誰が天国の招待に与っているかを教えています。1節でイエス様はパリサイ派の指導者の食事に招かれています。そこには水腫を患った女もいました。イエス様を試す材料として招かれています。この女は末席以下の被告席の様な所に招かれています。ところがこの末席にいた水腫女が神の恵みに与り癒やされ、上席の検事席にいたパリサイ人は恵みに与っていません。7節からは結婚の披露宴に招かれたなら上席に座ってはいけません、と教えています。末席であっても悲観しないで招かれている事を喜んで参列することを教えています。自分を高いと思うもの、自分を義人と誇る者は神の恵みに与る事は出来ません。神の国の披露宴に招かれる資格のない罪人が、招かれて感謝しています。末席にも与れない自分は罪人であることを知っている者が、イエス様の十字架の恵みを知って、天国のイエス様の花嫁としていただいて婚礼に参加出来ます。12節から、招くときは金持ちを招かないで、貧しい人たち、体の不自由な人たちを招きなさい、と教えています。金持ちは自信を持ってお祝いやお祝儀を持って参加します。地上の婚礼に招待されたとき、出される祝宴に相応する金銭をお祝いとして持って行って、安心して婚礼のパーティに参加します。しかし天国に招待されて祝宴に与るためには、どれだけの金銭を積んでも祝宴の代価を支払うことは出来ません。天国を金銭で、人間の善行で買い取る事は出来ません。地上の罪人は誰一人天国に入る資格はありません。貧しい人たちを招きなさい。これは自分は天国に入る資格はない、天国への入国料を支払う金銭、財産を持ち合わせていない、自分の無力さ、罪深さを知った者が、主の憐れみを知り、信じ、感謝して天国に入れる事を教えています。イエス様の十字架の横に強盗がいました。善行は何一つしていない罪人の頭です。主よ私を覚えてください。このひと言で、あなたは今日、わたしと共にパラダイスにいると天国行きの恵みに与っています。この主の招きを他の何よりも最優先して、主の下さるいのちのパンの恵みに与りましょう。シャローム。

2025年9月21日聖日礼拝

動画(40分39秒)

聖書 ルカの福音書12章12節〜21節
説教 「最も大切なもの」
説教者 高橋 博師


今月の聖句

ヤコブの手紙1章21節

ですから、すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、心に植えつけられたみことばを素直に受け入れなさい。みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます。


今週の聖句

マタイの福音書6章33節〜34節

まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。ですから、明日のことまで心配しなくてよいのです。明日のことは明日が心配します。苦労はその日その日に十分あります。


ルカ福音書14章の黙想 1 安息日の守り方。

ルカ13章でイエス様は安息日に会堂で教えておられる時、会堂に入って来た一人の女性をいやしておられます。18年間腰が曲がって、全く伸ばす事の出来ない女性でした。イエス様は「女の方、あなたは病から解放されました。」と宣言されると、直ちに腰が伸びて、病から解放されて神様をあがめています。14章1節でイエス様は安息日にパリサイ人の家に食事をするために入られました。その時そこに、水腫を患っている人がいました。イエス様はそこにいたパリサイ人、律法の専門家に「安息日に癒やすのは律法にかなっているでしょうか。かなっていないでしょうか。」と質問され、直ちにその水腫の人を抱き寄せて、いやして家に帰されました。イエス様はルカ6章5節で安息日に麦の穂を摘んで食べられたとき、「人の子は安息日の主です」と宣言されています。イエス様はルカ13章で18年病の霊に取り憑かれていた女性を癒やされた後、「神の国は何に似ているでしょう」と神の国について語っておられます。これは安息日は神の国のひな形である事を教えようとしておられます。安息日の目的をモーセは教えています。「六日間は自分の仕事をし、七日目には、それをやめなければならない。あなたの牛やろばが休み、あなたの女奴隷の子や寄留者が息をつくためである。」(出エジプト記23章12節)安息日は牛やロバなど家畜だけでなく奴隷の子や寄留者が労働から解放されて安息を得る、天国のモデルの日であります。労働からの解放だけでなく病の苦しみなどの束縛からも解放されます。私たちも主によって与えられた職務を果たしています。やがて神の国に召される時、地上の職務、働きから解放され永遠の安息に入れていただきます。職務からの解放だけでなく、病や肉体の痛みや不自由からも解放されます。日曜日の安息の日を礼拝しながら、やがて召される永遠の安息である天国の解放を期待し、楽しみ、期待したいと思います。この地上において肉体的な束縛制約がありましても、主と共に歩める喜びをかみしめて天の安息を待ち望みつつ、地上の人生の使命を果たしたいと思います。シャローム。

2025年9月14日聖日礼拝

動画(32分11秒)

聖書 使徒の働き20章1節〜12節
説教 「トロアスでの奇跡」
説教者 タン・ショーン師


今月の聖句

ヤコブの手紙1章21節

ですから、すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、心に植えつけられたみことばを素直に受け入れなさい。みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます。


今週の聖句

詩篇19篇7節

主のおしえは完全で
たましいを生き返らせ
主の証しは確かで
浅はかな者を賢くする。


ルカの福音書からの黙想 ルカ13章からの黙想3 狭い門から入るように努めなさい。

ルカ13章からの二回目の黙想。この日イエス様は会堂で教えておられます。ガリラヤからエルサレムへの旅の途上、エリコに近い町の会堂で安息日の礼拝をささげておられます。そこで一人の女性と出会っておられます。18年間、病のために腰が曲がって全く伸ばす事の出来ない女性が安息日に会堂に来てイエス様のお話を聞いています。腰を全く伸ばす事の出来ない女性が家から歩いて会堂にまで来て礼拝をするためには大変なエネルギーがいったことでしょう。また会堂での礼拝には全員が起立して詩篇を詠んだり、賛美をささげる事もあったでしょう。この女性はアブラハムの娘(16節)とイエス様は呼んでおられます。アブラハムは忍耐の信仰の方でした。99歳になっても主は子どもを与えてくださると言う忍耐と希望の信仰の父でした。この18年間、腰が不自由な生活を強いられていましたが、何時か主はいやしてくださる、と言う信仰を持っているアブラハムの娘でした。ルカ19章ではエリコの町で取税人ザアカイがイエス様と出会って変えられています。そのザアカイをイエス様は「この人もアブラハムの子」と呼んでいます。周囲の目には貪欲な取税人の頭にしか見えませんが、イエス様がエリコに来てくださる。イエス様に出会えれば人生は変わると信じてイエス様にイチジク桑の木の上で出会いました。この18年腰を病んだ女も、イエス様がこの町に来てくださる、イエス様にお会い出来れば癒やされると言うアブラハムの娘の信仰を持って、ザアカイがイチジク桑の木に登った様に、曲がらぬ腰にムチを当てて会堂に集い、イエス様に手をおいていただき、腰は癒やされて伸ばす事が出来、神様をほめたたえました。この奇跡を見て会衆は主のみわざを喜びましたが、会堂司は、安息日にいやしてもらうことはいけない。安息日以外の日に治してもらいなさいと女性を叱責しています。イエス様はこの女性は18年もサタンに縛られていたのですから、安息日にこの束縛から解放して神様を礼拝すべきではありませんかと女性を擁護しておられます。18年間、病が続きましたが癒やされる信仰、アブラハムの娘の信仰を持って、イエス様がその町に来られるとき、癒しをいただいています。主の時を待ちましょう。主の時には直ぐに応答できる信仰をいただいて歩みましょう。シャローム。