2025年7月13日聖日礼拝

今月の聖句

ヘブル人への手紙11章1節〜2節

さて、信仰は、望んでいることを保証し、目に見えないものを確信させるものです。昔の人たちは、この信仰によって称賛されました。


今週の聖句

ガラテヤ人への手紙2章20節

今私が肉において生きているいのちは、私を愛し、私のためにご自分を与えてくださった、神の御子に対する信仰によるのです。


ルカの福音書からの黙想 ルカ11章その4ヨナのしるし

ルカ11章29~32節でイエス様はヨナのしるしを取り上げています。「ニネベの人々が、さばきのときに、この時代の人々とともに立って、この時代の人々を罪ありとします。ニネベの人々はヨナの説教で悔い改めたからです。しかし見なさい。ここにヨナにまさるものがあります。」(32節)イエス様は御自身をヨナにまさる者と自己表現しておられます。まさる者という表現の中に、イエス様とヨナに共通点があり、イエス様はヨナより遥かに優れているお方と明かししておられます。「ヨナが三日三晩、大魚の腹の中にいたように、人の子も三日三晩、地の中にいるからです。」(マタイ12章40節)ヨナは神様からニネベの町に行って福音を、悔い改めを語るように召されました。しかし敵国ニネベの救いを望まずにニネベと反対の地中海の西の端、タルシシュへ逃げました。船が大嵐に襲われヨナは自分が神に背くことをしているのでこの大嵐が来た。わたしを海に投げ込んでください。船乗りがヨナを海に投げ込むと海は凪になり、ヨナは大きな魚に飲み込まれ、三日目に岸に吐き出されました。ヨナは神に従いアッシリアの首都ニネベに行って神の裁きの宣教をしました。ヨナはニネベの滅びを見ようとすると主は一本の唐胡麻の木を生長させいい木陰を提供した。ところが一匹の虫が唐胡麻をかんだのでその木は枯れ、ヨナは炎天下で苦しみ、死んだ方がましとさけんだ。「すると神はヨナに言われた。この唐胡麻のために、あなたは当然であるかのように怒るのか。ヨナは言った。私が死ぬほど怒るのは当然のことです。主は言われた。あなたは、自分で労さず、育てもせず、一夜で生えて一夜で滅びたこの唐胡麻を惜しんでいる。ましてわたしは、この大きな都ニネベを惜しまないでいられるだろうか。そこには、右も左も分からない十二万人以上の人間と、数多くの家畜がいるではないか。」ヨナは神のことばを語る預言者でした。ヨナにまさるイエス様は罪人の悔い改め、取税人の悔い改めを喜ぶ、放蕩息子のお父様のように赦しの愛の豊かな方でした。ヨナに愛と赦しにまさる救い主、主イエス様と共に歩みましょう。シャローム。

2025年7月6日聖日礼拝

動画(32分40秒)

聖書 ルカの福音書11章5節〜13節
説教 「愛には恐れがありません」
説教者 高橋 博師

今月の聖句

ヘブル人への手紙11章1節〜2節

さて、信仰は、望んでいることを保証し、目に見えないものを確信させるものです。昔の人たちは、この信仰によって称賛されました。


今週の聖句

ヨハネの手紙第一3章16節

キリストは私たちのために、ご自分のいのちを捨ててくださいました。それによって私たちに愛が分かったのです。ですから、私たちも兄弟のために、いのちを捨てるべきです。


ルカの福音書からの黙想 ルカ11章その3

ルカ11章14節でイエス様は悪霊を追い出されています。この悪霊追い出しの物語を20節でまとめておられます。「しかし、わたしが神の指によって悪霊どもを追い出しているのなら、もう神の国はあなたがたのところに来ているのです。」イエス様がこの世界に来てくださったことによって神の国はこの世に到来しました。この時イエス様と共に神の国が力を持って到来しました。やがて、イエス様の十字架、復活、昇天、聖霊の降臨で神の国は徹底した形でこの地上に到来しました。イエス様はニコデモに「まことに、まことに、あなたに言います。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」(ヨハネ3章3節)と言っています。今の恵みの時代、イエス様を心に迎えることにより、聖霊によって新しく生まれ変わり、神の子として神の力に支えられて歩むことが出来ます。心にイエス様をお迎えすることにより、心の中を占領していた悪霊が出て行きます。イエス様が心を導いて支配して満たしてくださいます。神の子とされて、この地上を歩みながら、神の国を生きることが出来ます。人類が堕落した時から、人の心の中に悪い霊が住みついて支配していました。良心的に生きようと思っても悪霊の力に負けています。イエス様を心の王座にお迎えすることは、悪霊が心から追い出されて、聖霊が住んでくださり聖霊に導かれて生きることです。追い出された悪霊は虎視眈々ともう一度人の心の中に帰りたいと願っています。イエス様を受け入れて後、怠惰な生活、不信仰な生活をしていると、悪霊がスキを狙って戻って住み着こうとします。「汚れた霊は人から出て行くと、水のない地をさまよって休み場を探します。でも見つからず、『出て来た自分の家に帰ろう』と言います。帰って見ると、家は掃除されてきちんと片付いています。そこで出かけて行って、自分よりも悪い、七つのほかの霊を連れて来て、入り込んでそこに住みつきます。そうなると、その人の最後の状態は、初めよりも悪くなるのです。」(24~26節)イエス様をいつも心の王座に就いていただいて、人生の主と仰いで歩みましょう。シャローム。