2024年9月22日聖日礼拝

動画(51分28秒)

聖書 マタイの福音書8章5節〜13節
説教 「癒しの主イエス」
説教者 エドウィン・ウォン師
通訳 リュウ・ホイイン師


今月の聖句

コリント人への手紙第二5章17節

だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。


今週の聖句

ペテロの手紙第一2章24節

キリストは自ら十字架の上で、私たちの罪をその身に負われた。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるため。その打ち傷のゆえに、あなたがたは癒やされた。


創世記からの黙想 創世記38章

38章には37章から始まったヨセフ物語が転じてユダの家庭のどろどろした罪深い物語が書かれています。聖書から除きたいような醜い事件ですがマタイ1章の冒頭、アブラハムの子、ダビデの子、イエス・キリストの系図の開始早々「ユダがタマルによってペレツとゼラフを産み」(3節)と創世記38章の醜態の結果が淡々と記載されています。ユダはヤコブの4男。すでにルベンがヤコブのそばめの所に入って長子の資格を失い、次のシメオン、レビは割礼を利用してシェケムの人を虐殺したので資格を失い、ユダがアブラハムからイエス様を世に送る祝福の継承者となりました。この重大な使命をいただきながらそれに献身していない自己中心のユダを神様が取り扱われるドラマです。ユダにはエル、オナン、シュアと言う3人の男の子がいました。長男エルにタマルという妻が与えられました。エルが主を怒らせる罪を犯したのでエルは子を残さないまま死にました。レビラート婚という律法に従ってタマルはエルの弟オナンと再婚しました。オナンも主を怒らせる罪を犯したので死にました。当然タマルは三男シェラと再婚するはずであります。タマルと結婚するならシェラも又死ぬのではないかと根拠のない恐怖を恐れたユダはタマルとシェラとの再婚をさせませんでした。タマルは子孫を残す使命を果たすために非常手段に打って出ました。タマルは遊女の姿を装って義父ユダによってみごもって双子ペレツとゼラフを出産しました。このユダの醜態のような出産劇をルツ記4章12節では「あなたの家が、タマルがユダに産んだペレツの家のようになりますように。」「あなたの跡を絶やさなかった主がほめたたえられるように。」(ルツ4章14節)と書かれています。アブラハムの子孫を絶やさない、継承する使命にタマルは献身しています。アブラハムの子孫から罪を取り除く神の子羊イエス様が生まれる。このアブラハムの子孫を残す、祝福の糸を絶やさないという使命に献身的に生きるタマルの尊さを創世記は教えています。ヤコブは祝福の継承者でないヨセフを偏愛して祝福の継承と言いう使命をおろそかにしていました。ユダも祝福の継承者となったものの、タマルをシェアの嫁にしないことによって恥ずかしい情けない形でペレツと言う継承者を得ることになりました。この記事を読みながら、信仰の継承、祝福の継承と言う使命の大切さを覚え、祈りを新たにしたいと思います。教会に与えられた祝福の恵み、私たちのうちに与えられている神様の恵みを何よりも大切にして継承して行きたいと思います。

2024年9月15日聖日礼拝

動画(39分10秒)

聖書 ピリピ人への手紙1章21節〜30節
説教 「生きることはキリスト」
説教者 高橋 博師


今月の聖句

コリント人への手紙第二5章17節

だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。


今週の聖句

コリント人への手紙第二5章1節

たとえ私たちの地上の住まいである幕屋が壊れても、私たちには天に、神が下さる建物、人の手によらない永遠の住まいがあることを、私たちは知っています。


創世記からの黙想 創世記37章

創世記37章から創世記の最後までヨセフの波乱万丈の人生が書かれています。ヨセフの悲劇の原因は、父ヤコブの偏愛の罪です。ヨセフはヤコブの罪を刈り取って苦しみの人生を送っています。しかしこれが苦難だけで終わらず、飢饉からの救済、兄弟の和解、無限に赦す神の愛が現されていきます。エジプトに奴隷として売られた時「ヨセフは17歳」(2節)、ヨセフがエジプトの総理大臣になった年は30歳(41章46節)、豊作の7年、飢饉の7年の後、およそ50歳くらいの時に兄弟、また父ヤコブとの再会を果たしています。17歳の未熟なヨセフの成長物語、聖化の進展、神様の取り扱いのドラマと読むことができます。父ヤコブの蒔いた罪は、私たち罪ある人間のわざです。罪人のなしたことを神様はこのように完成してくださる聖書を読むときに、私たちは希望を持つことができます。「父の妻ビルハの子らやジルパの子らと一緒にいた。ヨセフは彼らの悪い噂を父に告げた。」(2節)正室レアの子どもと側室ビルハ、ジルパの子の確執に最愛の妻ラケルの子ヨセフが巻き込まれています。ヤコブはヨセフにそでつきの長服を着させて自己満足をして、兄たちの憎しみを加速させています。このような家庭内の空気の読めない甘やかされたヨセフは見た夢を二度まで兄たち、父に語っています。兄たちはシェケム羊の群れを飼っていました。そこへ父の使いとして訪れたヨセフが事件に会っています。「彼を殺そうとたくらんだ。」(18節)「あれの夢がどうなるか見ようではないか」(20節)夢のことが怒りの材料になっていたようです。ルベンはあの子のいのちを打ち殺すのはやめよう、とヨセフを救い一緒に父のところに帰る心を持っています。他の兄弟は殺す提案をしています。ユダは殺すことには反対して、奴隷として売り飛ばす提案をしています。結果的にユダの提案通り売られ、その結果夢を解き、飢饉からの救済、兄弟の和解、神様の赦しと愛が示されるようになります。しかしユダはヨセフを売り飛ばした罪意識を最後まで持っています。このしもべをあの子の代わりに奴隷にしてください(44章33節)とのことばにも現れています。罪人たちの問題があっても神様はご計画を実現されます。ヨセフは訓練をされなければなりませんでした。苦しみを通らなければ夢は実現しませんでした。しかし苦しみの中に神様は力強く働いておられます。希望をもって主を信頼して行きましょう。