2024年12月1日聖日礼拝

動画(37分20秒)

聖書 ピリピ人への手紙3章12節〜21節
説教 「救いの完成を目指して」
説教者 高橋 博師


今月の聖句

ルカの福音書2章11節

今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。


今週の聖句

ピリピ人への手紙3章21節

キリストは、万物をご自分に従わせることさえできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自分の栄光に輝くからだと同じ姿に変えてくださいます。


創世記からの黙想 創世記48章

48章でヤコブが病気となり、147年の人生を終えることになります。生涯を終える時、ヤコブは3つの事をしています。「全能の神がカナンの地ルズで私に現れ、私を祝福して」(3節)くださったことを1番に語っています。第二番目には、ヨセフの子、マナセとエフライムを私の子にすると言って祈っています。第三番目にはヨセフの子、エフライムとマナセに手を置いて祈っています。第一番目にヤコブは主の恵みの回想をして、全能の神がカナンの地ルズでヤコブに現れた出来事を思い起こしています。創世記28章10~22節に書かれてある出来事です。兄エサウを欺いて長子の権利、祝福の祈りを奪い取った後、エサウの殺意を恐れてひとり母リベカのもとを離れてはるか伯父ラバンのところに逃げていく人生最悪、どん底、孤独の時、神様が夢の中で現れてくださり、主が彼のかたわらに立っておられる経験をしました。「あなたを守り、あなたをこの地に連れ戻し、あなたを決して捨てない」という約束を受けました。147歳のヤコブは生涯を閉じようとしています。人生の終わる時、ルズの地で神様と出会って、それ以降、ヤコブはこの神様に仕え、神様は約束したことを忠実に守ってくださることを感謝をもって告白しています。第二は「エジプトの地でおまえに生まれた、おまえの二人の子は、今、私の子とする。エフライムとマナセは、ルベンやシメオンと同じように私の子となる。」(5節)と書かれているようにヨセフの二人の子をヤコブは養子にしました。ヨセフはこのことで割り当ての地を2つ嗣業することになり、二倍の祝福を受けることになります。第三にヤコブはエフライムとマナセの頭に手を置いて祝福の祈りをしています。長男のマナセにはヤコブの右の手で、次男のエフライムの頭にはヤコブの左の手で祈っていただこうとヨセフは二人を配置しましたが、ヤコブは手を交差して、右の手で弟のエフライムを、左の手で兄のマナセを祈りました。ヤコブは弟でしたが祝福を受けました。兄は弟に仕えると神様は語られました。ヨセフも11番目の子でしたが今はイスラエルの支配者になっています。イエス様はあとの者が先になり、先の者が後になると言われました。この世では後の者となる人をも顧みてくださる主の愛を信頼しましょう。

2024年11月24日聖日礼拝

動画(47分26秒)

聖書 使徒の働き15章36節〜41節
説教 「主の恵みは私たちに十分である」
説教者 タン・ショーン師
通訳 リュウ・ホイイン師


今月の聖句

詩篇123篇1節〜2節

主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。主は私を緑の牧場に伏させいこいのみぎわに伴われます。


今週の聖句

コリント人への手紙第一12章9節

ある人には同じ御霊によって信仰、ある人には同一の御霊によって癒やしの賜物


創世記からの黙想 創世記47章

エジプトに奴隷として銀貨20枚で売り飛ばされたヨセフは神様が共におられて、しあわせなものとなり、パロ王の夢を解いたことからエジプト全土を治める総理大臣になり、豊作と飢饉のエジプトを治めていました。飢饉に苦しむヨセフの兄弟たちはエジプトに来てヨセフのもとにひれ伏して食料を求めました。この姿を見てヨセフは少年時代に見た夢を思い起こしました。彼らが二度目に食料を求めて来た時、「私はヨセフです。父上はお元気ですか。」(45章3節)と身分をあかしています。「私はあなたがたがエジプトに売った弟のヨセフです。」兄たちは狐に包まれているような信じられない光景に遭遇しています。25年前エジプトに売り飛ばした弟ヨセフはエジプトのどこかで奴隷として泥まみれに働かされているか、どこかでのたれ死んでいるかと思いきや、何と超大国エジプトの総理大臣となって、11の麦の束がヨセフの麦を拝んでいたあの夢の通り、兄たちはヨセフに懇願して食料を求めています。ヨセフは兄たちに「今、私をここに売ったことで心を痛めたり、怒ったりしてはなりません。神はいのちを救うために、あなたがたより先に、私を遣わしてくださったのです」と兄たちに語っています。エジプトの地から車を持って行って、あなたがたの父を乗せて来なさい。130才の高齢のヤコブはヨセフの用意した車に乗って、まだ見ぬ異教の国エジプトに下ろうとしています。ヤコブを乗せた車はエジプトの地ゴシェンに着き、ヨセフと25年ぶりの再会を果たしています。ヨセフは老いた父ヤコブを連れてエジプト王パロに面会をさせています。ヤコブはパロの前で、私のたどった年月は130年。私の齢の年月はわずかで、ふしあわせで、私の先祖のたどった齢の年月には及びません、パロに挨拶をしています。この両者は、方や大国エジプトの王パロ、その前に130才になって故郷を離れて異国エジプトに食料難民となって亡命しなければならない不幸せと自称するヤコブ。それでもヤコブはパロ王を祝福しています。地上的な財産が有ってもなくても、地位がいかなるものであっても、神様の与えてくださった祝福を祈る特権は失せるものではありません。貧しい老人ヤコブにあって、豊かな王パロの無いもの、それは神様の祝福を祈る力であります。この祝福を祈る恵みは死の床の神のしもべも行使することのできる特権であります。今日も神様の祝福をもたらす器として、祈りの使命に生きて行きましょう。シャローム。