2024年6月23日聖日礼拝

動画(44分15秒)

聖書 使徒の働き12章25節〜13章12節
説教 「パウロとバルナバの旅が始まる」
説教者 タン・ショーン師
通訳 リュウ・ホイイン師

“Paul and Barnadas’ Journey Begins”
Acts 12:25-13:12
Minister Sean Tan

次回のバイリンガル説教は9月22日(日)の予定です。

The next bilingual searmon will be on Septermber 22nd.


今月の聖句

ローマ人への手紙12章1節

ですから、兄弟たち、私は神のあわれみによって、あなたがたに勧めます。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。


今週の聖句

エペソ人への手紙2章10節

実に、私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをあらかじめ備えてくださいました。


創世記からの黙想 創世記25章

アブラハムは幸せな晩年を過ごし、年老いて満ち足り、息絶えて死んだ。」(8節)アブラハム百歳でイサクが生まれ、アブラハム140歳でイサクはリベカと結婚し、160歳の時にイサク、リベカの家庭にエサウとヤコブが生まれました。アブラハムはエサウ、ヤコブが15歳の青年になるまで見届けて175歳の長寿を全うしています。土地を与えるという約束はわずかマクペラの墓地を得ただけでアブラハムはサラの埋葬されている墓地に葬られました。子孫は星のようにおびただしく増えるという約束も、一人息子イサクが与えられ、リベカとの間にエサウとヤコブの双子の誕生と成長を見届けています。「アブラハムの死後、神は彼の子イサクを祝福された。」(11節)リベカは身ごもり胎内で双子がぶつかり合っていました。この時リベカは「兄は弟に仕える」という不思議なみことばを聞いています。兄のエサウは巧みな狩人、野の人となりました。一方ヤコブは穏やかな人で、天幕に住んでいました。双子でありながら体格も性格も異なっていました。イサクは活動的なエサウを愛し、リベカは穏やかなヤコブを愛しました。イサクはエサウの捕ってくる猟の獲物が好物でした。イサクは穏やかな人でありましたが、信仰に生きる事には弱さを持っていました。イサクが礼拝による霊的な糧より、猟で射止めた獲物の肉の糧を喜ぶ姿がエサウの目に映っていました。獲物の獲得が最も尊い事という価値観がエサウに植えつけられました。イサクの死後に与えられる長子の権の軽視、霊的祝福を疎んじる生き方を養ってしまいました。兄が弟に仕えるという不思議な神様のことばを聞いたリベカは長子の権利の大切さ、祝福を受け継ぐことの大切さを天幕の中で少年ヤコブに語っていたことでしょう。事件はエサウが疲れ切って空腹で猟から帰って来た時に起こりました。空腹のエサウはヤコブの煮ているレンズマメの煮物を求めました。ヤコブはレンズ豆の煮物を上げるがその代り、長子の権利を今すぐ私に売ってくださいと持ちかけました。エサウは「私は死にそうだ。長子の権利など、私にとって何になろう」と誓って長子の権利を侮って一杯の食物と引き換えに長子の権利を売ってしまいました。私たちの日常生活が神様の祝福の大切さ、神様とともに生きることの尊さを証しするものとならせていただきましょう。

2024年5月26日聖日礼拝

動画(39分49秒)

聖書 使徒の働き11章19節〜30節
説教 「一つの体(からだ)としての教会」
説教者 タン・ショーン師
通訳 リュウ・ホイイン師

The Church as One Body
Acts 11:19-30
Sean Tan

The next bilingual sermon will be on June 23rd.


今月の聖句

出エジプト記20章2節〜3節

わたしは、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出したあなたの神、主である。あなたには、わたし以外に、ほかの神があってはならない。


今週の聖句

コリント人への手紙第一12章26節

一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。


創世記からの黙想 創世記21章

サラは身ごもり、神がアブラハムに告げられたその時期に、年老いたアブラハムに男の子を産んだ。アブラハムは、自分に生まれた子、サラが自分に産んだ子をイサクと名づけた。」(2~3節)神様はアブラハムを祝福され、アブラハム百歳、サラ九十歳にして約束の子イサクが与えられた。サラは「神は私に笑いを下さいました。」と告白しています。イサクという名は「彼は笑う」という意味です。サラの最初の笑いは10年ほど前の不信仰の笑いでした。「高齢のわたしが子を産むなんてあり得ない」という笑いでした。二回目の笑いは年老いたサラがイサクを出産し、抱いたときの喜びの笑い。三度目の笑いは老いて楽しみを失ったサラに与えられた家庭の喜びの笑いでした。罪ある地上の生活には祝福にわざわいが伴います。同じ天幕で暮らしているイシュマエルはイサクをからかっています。サラはハガルやイシュマエルとの同居が我慢できません。イサク誕生の喜びも家庭内で愛し合う交わりが出来ず、いさかいが激しくなり、ハガル、イシュマエルは追い出されます。サラから捨てられたハガル、イシュマエルを神様は守り一つの部族に成長させてくださいました。今のアラブ人たちです。神様から祝福されているアブラハムは井戸を掘ると水脈にあたり水が湧き出ます。アブラハムを嫉んだアビメレクのしもべたちはアブラハムの井戸を奪い取るという事件が発生します。ここでもアブラハムへの祝福が妬み、略奪、抗議という問題に発展しています。アブラハムは平和裏に解決するため、アビメレクと契約を結ぶかたちで問題解決をしています。イシュマエルがイサクをからかう問題は追い出すと言う方法でした。しかし成長したアブラハムは、今回は、アビメレクと契約を結ぶ方法で問題解決をしました。アブラハムの信仰の成熟を感じさせられます。100歳を越えても成長するアブラハムはこの点でも私たちの模範です。「悪に負けてはいけません。むしろ、善をもって悪に打ち勝ちなさい。」ローマ人への手紙12章21節。22章では最愛のイサクを献げるとことにまで成長しています。何歳になっても成長する様に祈りましょう。シャローム。