2025年8月24日聖日礼拝

動画(40分49秒)

聖書 ルカの福音書11章37節〜44節
説教 「正義と神への愛」
説教者 高橋 博師


今月の聖句

歴代誌第一28章20節

それから、ダビデはその子ソロモンに言った。強く、雄々しく、事を成し遂げなさい。恐れてはならない。おののいてはならない。神である主、私の神が、あなたとともにいてくださるのだから。主は、あなたを見放さず、あなたを見捨てず、主の宮の奉仕に関わるすべての仕事を完成させてくださる。


今週の聖句

ミカ書6章8節

主はあなたに告げられた。人よ、何が良いことなのか、主があなたに何を求めておられるのかを。それは、ただ公正を行い、誠実を愛し、へりくだって、あなたの神とともに歩むことではないか。


ルカの福音書からの黙想 ルカ13章からの黙想 悔い改めないなら

イエス様はルカ12章56節で「どうして今の時代を見分けようとしないのですか。」と教えています。パウロは「見よ、今は恵みの時、今は救いの日です。」(コリント第二6章2節)と語っています。イエス様の到来と共に、神の国が今、この地に到来しています。この歴史認識、時代認識でルカ13章も読むように勧めています。13章1~5節においてその時代に起った二つの事件が話題になっています。ピラトというイエス様を処刑した残忍な総督が、数名のガリラヤ人が礼拝している時に彼らを殺害して、その血潮をガリラヤ人のささげるいけにえに混入したという残忍な事件です。もう一つはエルサレムのシロアムの池のそばの塔が倒壊して18名が下敷きになって死んだ事件です。どちらも正しい人たちが、前者は残虐な支配者によって、後者は自然災害によっていのちを失っています。なぜ彼らは不幸に死んでしまったのか。彼らには何か罪があったからですか、と尋ねています。正しい善良な人がなぜ苦難に合うのか。ヨブは正しい人生を送っていましたが、10人の子を一夜にして失い、牛、馬、ロバ、羊もすべて失い、ヨブ自身の肉体も病苦で苦しみます。そんな中でもヨブは「私は裸で母の胎から出て来た。また裸でかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」(ヨブ記1章21節)と告白しています。ヨブは試練の中に置いても犯人捜しをしないで、主は与え、主は取られる、主の御名はほむべきかな、と賛美をしています。イエス様はこの出来事のしばらく後に、このピラトから死刑宣告を受けて十字架に架かっておられます。罪のない、愛と善に満ちたイエス様が、人類の罪を背負って十字架についておられます。イエス様は十字架の上で叫んでおられます。「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです。」(ルカ23章34節)イエス様はピラトの顔も見ながら、この赦しの祈りをしておられます。私たちの人生に思わぬことが起りますが、イエス様の祈りを覚えて対処して行きましょう。シャローム。