今月の聖句
ヘブル人への手紙11章1節〜2節
さて、信仰は、望んでいることを保証し、目に見えないものを確信させるものです。昔の人たちは、この信仰によって称賛されました。
今週の聖句
ガラテヤ人への手紙2章20節
今私が肉において生きているいのちは、私を愛し、私のためにご自分を与えてくださった、神の御子に対する信仰によるのです。
ルカの福音書からの黙想 ルカ11章その4ヨナのしるし
ルカ11章29~32節でイエス様はヨナのしるしを取り上げています。「ニネベの人々が、さばきのときに、この時代の人々とともに立って、この時代の人々を罪ありとします。ニネベの人々はヨナの説教で悔い改めたからです。しかし見なさい。ここにヨナにまさるものがあります。」(32節)イエス様は御自身をヨナにまさる者と自己表現しておられます。まさる者という表現の中に、イエス様とヨナに共通点があり、イエス様はヨナより遥かに優れているお方と明かししておられます。「ヨナが三日三晩、大魚の腹の中にいたように、人の子も三日三晩、地の中にいるからです。」(マタイ12章40節)ヨナは神様からニネベの町に行って福音を、悔い改めを語るように召されました。しかし敵国ニネベの救いを望まずにニネベと反対の地中海の西の端、タルシシュへ逃げました。船が大嵐に襲われヨナは自分が神に背くことをしているのでこの大嵐が来た。わたしを海に投げ込んでください。船乗りがヨナを海に投げ込むと海は凪になり、ヨナは大きな魚に飲み込まれ、三日目に岸に吐き出されました。ヨナは神に従いアッシリアの首都ニネベに行って神の裁きの宣教をしました。ヨナはニネベの滅びを見ようとすると主は一本の唐胡麻の木を生長させいい木陰を提供した。ところが一匹の虫が唐胡麻をかんだのでその木は枯れ、ヨナは炎天下で苦しみ、死んだ方がましとさけんだ。「すると神はヨナに言われた。この唐胡麻のために、あなたは当然であるかのように怒るのか。ヨナは言った。私が死ぬほど怒るのは当然のことです。主は言われた。あなたは、自分で労さず、育てもせず、一夜で生えて一夜で滅びたこの唐胡麻を惜しんでいる。ましてわたしは、この大きな都ニネベを惜しまないでいられるだろうか。そこには、右も左も分からない十二万人以上の人間と、数多くの家畜がいるではないか。」ヨナは神のことばを語る預言者でした。ヨナにまさるイエス様は罪人の悔い改め、取税人の悔い改めを喜ぶ、放蕩息子のお父様のように赦しの愛の豊かな方でした。ヨナに愛と赦しにまさる救い主、主イエス様と共に歩みましょう。シャローム。