動画(49分32秒)
聖書 使徒の働き17章1節〜15節
説教 「主のみことばを受け入れる」
説教者 タン・ショーン師
今月の聖句
ルカの福音書5章10節
イエスはシモンに言われた。「恐れることはない。今から後、あなたは人間を捕るようになるのです。
今週の聖句
マタイの福音書13章8節〜9節
また、別の種は良い地に落ちて実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍になった。耳のある者は聞きなさい。
ルカの福音書からの黙想 ルカ6章前編
「ある安息日に、イエスが麦畑を通っておられたときのことである。弟子たちは穂を摘んで、手でもみながら食べていた。」(1節)この行為を「なぜあなたがたは、安息日にしてはならないことをするのですか。」とパリサイ人はイエス様を批判しています。ここからイエス様は安息日の本当の意味を教えています。旧約聖書は旅人、孤児、主人を失ったやもめ、在留異国人に対して大変親切な福祉的な律法です。ルツ記に書かれているようにやもめや在留異国人は他人の畑で落ち穂を拾うことが許されています。旅人が空腹な時は道ばたの麦の穂を取って食べることが許されています。牛や家畜が井戸に落ちた時は安息日であっても助けなければならないことも教えられています。これらの教えをまとめてレビ記19章18節で「あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい」と教えています。これらを背景にしてイエス様はパリサイ人に本当の安息を教えています。3~4節で、ダビデがサウル王から追われて逃避行の時の出来事を引用しています。ダビデとその部下の者たちはサウルから追われて荒野の旅を続けて空腹で疲労困憊になっていました。その時祭司アヒメレクは神殿に供えたおさがりの祭司用のパンをダビデに与えています。アヒメレクはダビデを助けた理由でサウル王に殺されています。アヒメレクはいのちを捨ててでもダビデを愛し助けました。ダビデはイスラエルの王となりイスラエルに安息、平和をもたらしました。イエス様は救い主として私たちに安息を与えてくださるお方であります。イエス様と交わり、教えを受け、みことばを聞く時、魂の安息をいただくことが出来ます。これが安息日の守り方であり、まことの礼拝です。本当の安息は罪の赦し、罪からの解放です。イエス様は真の安息を与えてくださる方です。ダビデにパンを与えたアヒメレクはサウルに殺されましたが、このアヒメレクの行為をイエス様は愛の行為と語っています。マタイ、マルコ、ルカはこの出来事を書き記しています。小さなものに水一杯でも与えるものは決して報いからもれることはないとイエス様は約束してくださいました。イエス様は安息日の主として来てくださいました。飢えた者に霊の糧を与える主、渇いた者に永遠への水を与えるお方です。日々のデボーション、日曜日の礼拝で、いのちのパンの恵みに与り、魂の安息を覚える恵みに与りましょう。