動画(49分21秒)
聖書 ルカの福音書9章46節〜50節
説教 「一番偉い人」
説教者 高橋 博師
今月の聖句
詩篇51篇17節
神へのいけにえは砕かれた霊。打たれ砕かれた心。神よあなたはそれを蔑まれません。
今週の聖句
ルカの福音書9章48節
だれでも、このような子どもを、わたしの名のゆえに受け入れる人は、わたしを受け入れるのです。また、だれでもわたしを受け入れる人は、わたしを遣わされた方を受け入れるのです。あなたがた皆の中で一番小さい者が、一番偉いのです。
ルカの福音書からの黙想 ルカ9章中編
さて、天に上げられる日が近づいて来たころのことであった。イエスは御顔をエルサレムに向け、毅然として進んで行かれた。」(9章51節)この時からイエス様は十字架への道を明確に毅然として歩み始めておられます。しかし弟子たちにはイエス様の心境は理解出来ていません。ペテロは山上でイエス様の姿が変わったときに「先生。私たちがここにいることはすばらしいことです。」何時までも地上のイエス様と一緒にいることを期待しています。ルカ後半ではこのような弟子たちに十字架に架かるメシヤ、苦難の道を歩みしもべとなるメシヤ、復活の力により罪に打ち勝つ力を与えるメシヤを理解させる指導訓練が始まって行きます。ルカ9章の半ばにおきましてイエス様はこのような思いを内に秘めて3つのことを教えておられます。「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」(20節)ペテロは「神のキリストです。」とすばらしい答え、信仰の告白をしています。イエス様は神であられますが私たちを救うために人間の姿をとられ、人となって下さったメシヤ、キリストと信仰を告白することは、ペテロを初めとしてすべてのキリスト者の信仰の土台です。ペテロは第一の問題はクリヤーしました。第二の問題「人の子は多くの苦しみを受け、長老たち、祭司長たち、律法学者たちに捨てられ、殺され、三日目によみがえらなければならない、と語られた。」イエス様は捨てられ、殺され、苦しまれ、復活されることを予告されました。ペテロはこの時苦しまれるメシヤが理解出来ませんでした。復活されたイエス様に出会いペンテコステの時に聖霊を受けて十分に理解出来るようになりました。第三の課題は「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。自分のいのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを救うのです。」(23~24節)イエス様の苦しみだけではなく、弟子たちも自分を捨てて十字架を負って従って来なさいと言う課題です。これも弟子たちはこの時理解出来ませんでした。イエス様は誰か、と言うメシヤ像を正しく知ることが弟子たちの課題です。福音書の後半は弟子たちが苦しみ復活するメシヤ理解の焦点を合わせて弟子の指導訓練にあたっておられます。その訓練、体験の第一番が28節から始まる山上でのイエス様の変貌を3人の弟子たちが目撃体験をすることです。イエス様を深く、霊的に、体験的に理解して生きましょう。