2024年7月7日聖日礼拝

動画(42分01秒)

聖書 使徒の働き20章19〜32節
説教 「神の教会」
説教者 高橋 博師


今月の聖句

マルコの福音書10章44節〜45節

あなたがたの間で先頭に立ちたいと思う者は、皆のしもべになりなさい。人の子も、仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人のための贖いの代価として、自分のいのちを与えるために来たのです。


今週の聖句

使徒の働き20章32節

今私は、あなたがたを神とその恵みのみことばにゆだねます。みことばは、あなたがたを成長させ、聖なるものとされたすべての人々とともに、あなたがたに御国を受け継がせることができるのです。


創世記からの黙想 創世記27章

イサクは年をとり、視力が衰えた時、長男エサウに、私が死ぬ前に、私自身がおまえを祝福できるためにおいしい料理を作り、ここに持って来て私に食べさせておくれと語っています。それを聞いたイサクの妻リベカは、エサウの弟ヤコブに、父イサクのところにエサウに変装して行き、祝福を受けるように命じています。エサウが猟に行っている間に、リベカは子ヤギを料理し、エサウの晴れ着をヤコブに着させ、子ヤギの毛皮をイサクの身に着け、目の見えないイサクをだまして、祝福の祈りをだまし取りました。エサウが猟から帰って料理を作ってイサクのところに来た時には、祝福はヤコブに与えた後で、もう祝福は残っていませんでした。「エサウは、父がヤコブを祝福したあの祝福のことでヤコブを恨んだ。それでエサウは心の中で言った。父の喪の日も近づいている。その時、弟ヤコブを殺してやろう。」(41節)カインがアベルを殺した事件の再来を防ぐため、リベカはヤコブを遠くハランの地の兄ラバンのところに送っています。イサクは肉眼の視力だけでなく、霊的な視力、信仰の洞察力も衰えていました。エサウとヤコブが双子として生まれた時、兄が弟に仕える(25章23節)という主のことばをリベカは受けています。主がリベカに語られた約束を夫イサクは聞いているはずです。妻に語られた神様のことばをイサクは信じて受け入れなければなりません。エサウは空腹の時、長子の権利を売って一杯のレンズ豆の煮ものを食べて、長子の権利を軽蔑しています。(25章34節)「エサウは40歳になってヘテ人ベエリの娘エフディテとヘテ人エロンの娘バセマテとを妻にめとった。彼女たちはイサクとリベカにとって悩みの種となった。」(26章34節)長子の権利を軽蔑したエサウは信仰を軽視しています。神様のことばとエサウの行いから長子の祝福の祈りは弟ヤコブが受けるべきであったのに、エサウに与えようとしているイサクに霊的な視力も衰えていたことがうかがえます。リベカの行為はイサクをだますようではありましたが、神様の計画が実現するようにと必死で取った行動であります。ヤコブが神様の祝福を受け継ぐという神様の約束は綱渡りのようであっても、人間の罪や弱さがあっても、実現して行きます。問題ある人間を用いながらもご計画を力強く勧めておられる神様を仰いで歩みましょう。シャローム。

2024年6月30日聖日ファミリー礼拝

動画(32分16秒)

聖書 マルコの福音書4章35節〜41節
説教 「力なる主」
説教者 リュウ・ホイイン師


今月の聖句

ローマ人への手紙12章1節

ですから、兄弟たち、私は神のあわれみによって、あなたがたに勧めます。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。


今週の聖句

マルコの福音書4章41節

風や湖までが言うことを聞くとは、いったいこの方はどなたなのだろうか。


創世記からの黙想 創世記26章

さて、アブラハムの時代にあった先の飢饉とは別に、この国にまた飢饉が起こった。それでイサクは、ゲラルのペリシテ人の王アビメレクのもとへ行った。」(1節)人は強さと弱さの両面を持っています。強さが祝福される時も、災いとなる時もあります。逆に弱さが祝福になる時も、信仰の妨げとなる時もあります。26章ではイサクの弱さ、優しさが、災いとなったケースと祝福となったケースが書かれています。弱さ強さが信仰によってコントロールされる時、祝福となります。イサクがヘブロン、ベエルシェバという自分の世界に住んでいる時、彼の弱さはカバーされていました。飢饉の時、ペリシテ人のゲラルという外国に住んだ時、問題が起こりました。妻リベカが美しかったので、妻のことでこの土地の人々が自分を殺しはしないかと恐れて、あれはわたしの妹です、と偽ってしまいました。この偽りはすぐにばれてしまい、イサクは偽り者と言われ、恥を負い、ゲラルの人に姦淫の罪を犯させる危険を与えてしまいました。イサクも私たちも外国にいても、見知らぬところにいても、強く信仰に立って主に信頼しなければなりません。「主を恐れることは知識のはじめ。」(箴言1章7節)「人を恐れるとわなにかかる。」(箴言29章25節)箴言のことばを心に刻みましょう。悔い改めたイサクはゲラルにおいて種まきをすると祝福を受け百倍の収穫があり、羊、牛の群れが多くなりました。ペリシテ人やアビメレクはイサクを妬み、井戸に土を入れて埋め、嫌がらせをして、イサクを追い出しました。追い出されたイサクはゲラルの谷という立地の良くないとこに移動しました。そこでも井戸を掘りあてると、ゲラル人はその井戸を奪い、イサクは争わずまた隣に移動して井戸を掘り水が出るという祝福を受けました。いじめられても、苦しめられても争わず、次々に井戸を掘り当てました。いじめたアビメレクが契約を結びたい。主があなたとともにおられることを、はっきりと見たのです。迫害者アビメレクの姿勢は変わり、イサクに祝福を求める契約を結ぶようになりました。「愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。・・もしあなたの敵が飢えたなら、彼に食べさせなさい。渇いたなら飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃える炭火を積むことになるのです。悪に負けてはなりません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。」(ローマ12章19節)いつも主を見上げましょう。シャローム。