2024年8月18日聖日礼拝

動画(50分47秒)

聖書 ヨハネの福音書3章1節〜16節
説教 「永遠のいのち」
説教者 高橋 博師


今月の聖句

コリント人への手紙第一12章26節〜27節

一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。あなたがたはキリストのからだであって、一人ひとりはその部分です。


今週の聖句

ヨハネの福音書3章16節

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。


創世記からの黙想 創世記33章

ヤコブが自分の故郷へ帰るために取り組まなければならない課題は兄エサウとの和解でした。エサウに対して祝福を奪い取った罪をきちんと謝罪することであります。400人の従者を従えてエサウは来ると言う知らせにヤコブは恐れました。和解の出来ない時、如何にしてエサウから逃れるか。保身のみを考えていたヤコブは一人後ろにとどまっていました。その時、神様の取り扱いがありました。20年前親から離れ一人になった時「まことに主はこの場所におられる。それなのに、私はそれを知らなかった。」(28章16節)と神様との出会いを体験しています。エサウと出会う前日一人一番後ろにいるヤコブに主の使いが現れヤコブと格闘をしました。この格闘でももの関節が外れて自分の力に頼れなくなったヤコブはこの時から自力、自我に頼らず、神様の祝福のみに頼り委ねる信仰体験をしています。神様の愛と赦しに満ちた御顔を拝見し、「あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない」というみ言葉を思い起こしエサウに出会う備えが出来ました。神様の義の太陽に心を照らされたヤコブの前に400人の部下を引き連れたエサウがやってきました。変えられたヤコブは恐れから解放されて自ら先頭に立ってエサウに向かって行きました。ヤコブは7回土下座して地にひれ伏しエサウに対面しました。人への恐れから解放され、自我の力、人間の力、策略に頼らず、神様の祝福のみに頼る信仰に変えられ、義の太陽に照らされ輝いたヤコブの姿でした。神様はヤコブに働かれるだけではなく、エサウにも働きかけられました。エサウは敵意と恨みを持って400人の手下を引き連れてきましたが、ヤコブが一人単身で近づき、7回土下座をして地にひれ伏す謝罪の姿を見ました。その時、神様はエサウにも働かれました。「エサウは迎えに走って来て、彼を抱きしめ、首に抱きついて口づけし、二人は泣いた。」(33:4)感動的な出会いです。エサウも神様に変えられ復讐心から解放されています。放蕩息子が帰って来た時、お父さんが走り寄って抱きしめ口づけした風景をほうふつさせます。罪を犯した弟息子を赦す父に神様の愛があふれています。兄エサウに恐怖を抱いていたヤコブをエサウは抱きしめます。エサウのこの変化にヤコブは神様の取り扱い、神様の慈愛を見ています。「私は兄上のお顔を見て、神の御顔を見ているようです。」(10節)私たちは天の故郷に帰る前になすべきことが残っているでしょうか。自我の力や策略に頼って戦々恐々とならないで、神様の愛と恵みに真理しましょう。

2024年8月11日聖日礼拝

今月の聖句

コリント人への手紙第一12章26節〜27節

一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。あなたがたはキリストのからだであって、一人ひとりはその部分です。


今週の聖句

詩篇121篇2節

私の助けは、天地を造られた主から来る。


創世記からの黙想 創世記32章

さて、ヤコブが旅を続けていると、神の使いたちが彼に現れた。ヤコブは彼らを見たとき、ここは神の陣営だと言って、その場所の名をマハナイムと呼んだ。」(1~2節)20年前に兄エサウをだましました。殺意に満ちたエサウからのがれてはるか北の伯父ラバンのところに逃避行をしました。神様はヤコブに現れました。「見よ。わたしはあなたとともにあり、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地につれもどそう。あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」(28章15節)20年間、伯父ラバンに何度もだまされてきました。「主はヤコブに仰せられた。あなたが生まれた、あなたの先祖の国に帰りなさい。わたしはあなたとともにいる」(31章3節)主の御声を聞いてラバンのもとを去りました。狡猾なラバンから離れても、前方には兄エサウが待ち受けています。不安をもって向かったところ、マハナイムで主の使いがヤコブに現れました。ここは神の陣営マハナイムという啓示を受けて心を強くして、兄エサウに使者を送りました。兄エサウは400人を引き連れてやってくる、という知らせにヤコブは恐怖のどん底に突き落とされました。昔の策略家、ずるがしこいヤコブの地肌が出てしまいました。「どうか私の兄、エサウの手から私を救い出してください。彼が来て、私をはじめ母や子供まで打ちはしないかと恐れているのです。」(11節)ペヌエルでの神の臨在の体験をしてもヤコブはエサウを恐れていました。膨大な贈り物を先に進ませてエサウの怒りをなだめようとしました。宿営を二つに分け、一つが打たれても、もう一つを引き連れて逃げようと考えていました。ヤボクの渡しを、妻、子ども、全員渡らせ、ヤコブひとり後方に残りました。罪のない妻、子ども、しもべを盾にしてでも自分を守ろうとしています。神様はヤコブと格闘しています。ヤコブは我を張り続け、神様に服従しません。ヤコブは自我で勝っていても信仰では負けていました。ヤコブが勝利者になるために、神様はヤコブのもものつがいを打たれ、腰に力が入らなくなりました。自我の力の土台を打たれました。神様に明け渡し、祝福をくださいと懇願して、兄エサウに向かう勇気を得たのです。ヤコブ自身彼らの先頭に立って進み、打たれた足を引きずりながらエサウに7回もお辞儀をして対面を果たしました。ヤコブが贈り物をエサウにしきりにすすめたのでエサウは膨大な贈り物を受け取り、セイルの自分の家に帰って行きました。33章20節でヤコブはシェケムで祭壇を築いて神様を礼拝しています。エサウとの和解という20年来の懸案を果たすことが出来ました。義の太陽がヤコブを照らしました。私たちの人生にも懸案があります。主に信頼して懸案に立ち向かいましょう。