2023年4月2日聖日礼拝

動画(41分38秒)

聖書 創世記29章21節〜35節
説教 「人の欺きと神の慰め」
説教者 高橋博牧師


今月の聖句

エゼキエル書36章26節

あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を与える。わたしはあなたがたのからだから石の心を取り除き、あなたがたに肉の心を与える。


今週の聖句

ローマ書11章33節

ああ、神の知恵と知識の富は、なんと深いことでしょう。神のさばきはなんと知り尽くしがたく、神の道はなんと極めがたいことでしょう。


今週の詩篇の黙想

詩篇117篇1節〜2節

  1. 詩篇117篇は2節だけの最短の詩篇です。次の次の詩篇119篇は176節まである最長の詩篇です。しかし詩篇117篇はなんと旧新約聖書66巻の丁度真ん中の章になっています。旧新約聖書合計1189章のど真ん中、595番目が詩篇117篇です。短い詩篇ですが聖書の頂点のようで内容は壮大です。「すべての国々よ。すべての国民よ。」と呼びかけがあります。国々よ、国民よと、繰り返しています。今までの詩篇はイスラエルよ、アロンの家よ、主を恐れる者よ、と主をほめたたえる者が限定されていましたが、詩篇117篇では「すべての国々よ。すべての民よ。」と広がりがあります。イエス様が十字架に架かられ、復活され、聖霊がくだった時、「終わりの日に、わたしは、すべての人にわたしの霊を注ぐ」の約束が実現し、「主の名を呼び求める者はみな救われる」と宣言され、救いが異邦人に、全世界に、イスラエルの垣根を越えて地の果てにまで広がる展望を見据えて歌われています。

  2. 詩篇の作者はバビロン捕囚から帰還し、エルサレムで塵芥から石を掘り起し、石を磨いて神殿の城壁の再建をしています。お金もない、バビロンの壮大な建築物から見ると小さな小さな神殿の再建工事に携わっていながら、預言者ヨエルやエゼキエルは塵芥の中の石ではなく、罪に汚れた異邦人が救われ、きよめられ、石の神殿ではなく、贖われた者、一人一人が組み合わされて築かれる霊の家の神殿を夢見て、「すべての国々よ。すべての民よ。主をほめたたえよ。主をほめ歌え。」と歌っています。今日私たちのくちびるも聖められて、主をほめる者とならせていただきましょう。

  3. 2節は「主の恵みは私たちに大きい。主のまことはとこしえまで。」と歌っています。「主の恵み」「主のまこと」「大きい」「とこしえ」が並んでいます。パウロはエペソ3章18節で「すべての聖徒とともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、」と祈っています。塵芥の中の石が洗われ、きよめられ、削られ、磨かれて聖なる神殿の石になって行きます。そのように私たちは、かつては捨てられていました。役に立たないもの、存在価値を持っていない汚れた石のようなものでした。キリストの大いなる愛は私たちを生まれ変わらせ、作り変えて、新しくし、全く造り変える力があります。キリストの愛の深さ、大きさを知って、最後にその愛はとこしえにまで変わらないことを告白して歌いましょう。小さな詩篇にこめられた大きな愛を受けて、小さな私たちが変えられて大きな夢を抱くことが出来ることを感謝しましょう。ハレルヤ。

2月19日聖日礼拝

動画(42分28秒)

聖書 創世記26章12節〜25節
説教 「平和をつくる人」
説教者 高橋博牧師


今月の聖句

詩篇119篇105節

あなたのみことばは私の足のともしび私の道の光です。


今週の聖句

ローマ書12章21節

悪に負けてはいけません。むしろ、善をもって悪に打ち勝ちなさい。


今週の詩篇の黙想

詩篇111篇1節〜10節

  1. 詩篇111篇は10節までのコンパクトな詩篇です。各行の頭がABCの順になっているヘブル語のいろは歌です。1節は「ハレルヤ。私は心を尽くして主に感謝をささげよう。直ぐな人の交わり 主の会衆において。」と感謝を献げますと歌い出されています。2節では「主のみわざは偉大。それを喜ぶすべての人に尋ね求められるもの。」と感謝の根拠として、主のみわざの偉大さを認識してほめたたえています。

  2. 2~7節で主のみわざが5回繰り返されています。2節「主のみわざは偉大」3節「そのみわざは威厳と威光」4節「主はその奇しいみわざを人の心に刻まれた」6節「国々のゆずりの地をご自分の民に与え彼らにそのみわざの力を告げ知らされた」7節「御手のわざは真実と公正そのすべての戒めは確かである」このような主の大いなるみわざを覚えて感謝を献げる告白から始まっています。主のみわざを知ることを通して神様を深く知ることが出来、神様のみわざを知ることと神様御自身を知ることは深い関係があります。

  3. この感謝の告白を1節の後半では「直ぐな人の交わり主の会衆において」と続いています。個人で告白するだけでなく、主の会衆において、と言うことは今日的に言えば、教会の交わりにおいて、教会の共同体的交わりにおいて、主のみわざと主の属性を覚えて感謝と賛美を献げることが勧められています。「主はその奇しいみわざを人の心に刻まれた。主は情け深くあわれみ深い。」と4節で歌われています。主はくすしいみわざを私たちの心に刻み込んでくださり、情け深くあわれみ深い主の御性質、主の御人格をも心に刻印のように刻み込まれます。

  4. 6節では「国々のゆずりの地をご自分の民に与え 彼らにそのみわざの力を告げ知らされた。」エジプトから帰って来たイスラエルの民に割り当て地をお与えになりました。今日においても主は私たちに「ゆずりの地」を与えて下さいます。主御自身が「ゆずりの地」であります。それは使命の場所であり、自分の居場所であります。主は私たちを目的を持って生かしてくださり、目的を持って救いの恵みに与らせてくださいました。主を知ることはこのゆずりの地に生きることであり、自分が生かされる安息の地、居場所を得ることであります。最後の10節において「主を恐れることは、知恵の初め。」(新改訳第三版)と歌い「主の誉れは永遠に堅く立つ。」と結んでいます。主のゆずりの地での安息を感謝しましょう。シャローム。