5月2日聖日礼拝

礼拝説教(19分32秒)

聖書 ヨハネの福音書21章15節〜19節
説教 「わたしの羊を飼いなさい」
説教者 高橋 博牧師


今月の聖句

神へのいけにえは砕かれた霊。打たれ砕かれた心。神よあなたはそれを蔑まれません。(詩篇51篇17節)


今週の聖句

あなたがたが互いに愛し合うこと、これが、わたしのあなたがたに与える戒めです。(ヨハネの福音書15章17節)


祈り(8分33秒)

今週の祈りのガイド

詩篇17篇1節〜9節

  1. ダビデの祈りと書いてあります。1節を味わいましょう。1節の3行の詩にリズムがあります。聞いてください、耳に留めてください、耳に入れてくださいと訴えが深まっていきます。訴える方も、正しい訴えを、私の叫びを、私の祈りをと、人への懇願や訴えが、神様への祈りに深化していきます。人にわかってほしい願いから神様にわかって欲しいと方向が神様に向いています。思いを主に向けて心からの祈りを主にささげましょう。

  2. 3節を味わいましょう。ここも、私の心を調べ、私を問いただされ、私を試された、と調べる、問いただす、試すと進展しています。祈りが欲望からの祈り、復讐心からの祈り、自己的な祈りでないか調べ、問いただしていただいたが、何も見つかりませんと告白しています。祈る前に聖霊によって祈りが御心にかなった祈りか吟味していただいて祈りましょう。

  3. 4~5節を味わいましょう。行い、歩み、私の足と3節の心から少し具体化しています。行いは神様のことばにより頼み、私の歩みは、あなたの道を堅く守り、私の足はよろけなかったと賛美しています。祈りを聞いていただくためにまず自己点検して罪があれば悔い改めて、自己中心からではない御心にかなった祈りをしましょう。

  4. このように心を整えて吟味をしていただいて6節で「神よ。私はあなたを呼び求めました。あなたは私に答えてくださるからです。」と確信に満ちて祈っています。8~9節のように「私を、ひとみのように見守り、御翼の陰に私をかくまってください。私を襲う悪者から。私を取り巻く貪欲な敵から。」と祈っています。人が私たちを守ってくれないときにも、神様はひなを守るように私たちを守ってくださいます。主の守りを信じて感謝の祈りをささげましょう。

4月25日聖日礼拝

礼拝説教(19分27秒)

聖書 ヨハネの福音書21章1節〜14節
説教 「夜が明けそめた時」
説教者 高橋 博牧師


今月の聖句

神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助け。(詩篇46篇1節)


今週の聖句

こわがらなくてもよい。これから後、あなたは人間をとるようになるのです。(ルカの福音書5章10節)


祈り(9分34秒)

今週の祈りのガイド

詩篇16篇1節〜11節

  1. ダビデのミクタムという表題がついています。ミクタムとは黄金の詩篇という意味があります。ダビデの黄金時代に歌われた詩篇ではありません。サウル王から追われる苦難の中の詩篇ですが、「あなたこそ、私の主。私の幸いは、あなたのほかにはありません。」と信仰の告白することが黄金に人生、黄金の歩みです。詩篇の記者と一緒に「あなたこそ、私の主。私の幸いは、あなたのほかにはありません。」と告白しましょう。

  2. 5節に「主は、私へのゆずりの地所、また私への杯です。」と書かれ、6節で「測り綱は、私の好む所に落ちた。まことに、私への、すばらしいゆずりの地だ。」とゆずりの地が告白されています。イスラエルの民は自分の割り当て地を、自分の判断や欲、損得で選んだのではなく、神様からのゆずりの地として与えられました。それを素晴らしい地、黄金の所と告白しています。私たちは自分で決められないことが多くあります。生まれた家や時代、自分の身体なども自分で決めているのではありません。神様からのプレゼント、黄金の最高のプレゼントと信じて、感謝の祈りをささげましょう。

  3. 8節で「私はいつも、私の前に主を置いた。主が私の右におられるので、私はゆるぐことがない。」と主を前において礼拝しています。黄金の人生は偶然に来るのではありません。主を前に置いて、主のみことばを前に置いてそれに従う時にミクタム、黄金の詩篇の人生を享受することができます。主よ、いつも私の前を歩み、私を導いてください。私はいつもあなたの後を歩みます、と祈りましょう。

  4. 10節に「まことに、あなたは、私のたましいをよみに捨ておかず、あなたの聖徒に墓の穴をお見せにはなりません。」と書かれこれをペテロもパウロも引用しています。イエス様は墓から蘇られました。イエス様のおからだは墓の中で朽ち果てることはありませんでした。主はイエス様に連なる者はどこにあっても朽ちることなく、黄金のミクタムの人生を送ることを約束してくださっています。主の約束を信じて喜びに満たされ、楽しみがとこしえにあるように祈りましょう。