主日礼拝説教:2026年3月29日(日)
聖書箇所:出エジプト記20章8~11節
説教題:神の安息に入る
暗唱聖句
神の安息に入る人は、神がご自分のわざを休まれたように、自分のわざを休むのです。
へブル人への手紙4章10節
説教音声
説教要旨
安息日を覚えて
十戒は私たちが神さまとともに生きるための道しるべとなる言葉です。第四戒は「安息日を覚えて、これを聖なるものとせよ」です。第四戒は安息日に関する教えです。
「安息日」と訳されているヘブル語は、「やめること」、「放棄すること」を意味する言葉です。六日間は仕事をして、七日目は仕事をストップするのです。それは天地創造のみわざを終えた神さまが七日目に休まれたことに基づいています。安息日はいっさいの仕事をストップする休みの日です。
さて、神さまは「安息日を覚えて」と言われました。多くの人にとって、休みの日は待ち遠しいものです。敢えて言われなくても、休みの日は覚えているものです。しかし、神さまは敢えて言われるのです。安息日を覚えなさい。神さまがそう言われるのは、私たちが安息日を忘れやすいからなのだと思います。私たちは安息日を忘れやすいのです。忘れやすいというよりも、やめることができない、放棄することができない、ストップできない、そのような表現の方がしっくりくるかも知れません。私たちは自分の活動をストップすることができないのです。
神さまは七日ごとに安息日を定めてくださいました。なぜなら、私たちには安息が必要だからです。私たちは働き続けることができないのです。どんなに健康な人も体力のある人も同じです。働き続けることはできません。そして、そんな私たちのために、神さまは七日ごとの安息日を定めてくださいました。七日ごとの安息日が定められていることは、神さまからの祝福です。だれよりも、神さまご自身が私たちの安息を願っていてくださるのです。なぜなら、神さまは私たちを愛していてくださるからです。
聖なるものとせよ
「安息日を覚えて」と言われた神さまは、その安息日を「聖なるものとせよ」と命じられました。安息日を聖なるものとするのです。安息日を聖なるものとする、それが第四戒の教えです。
「聖」とは神さまのものとして区別されていることです。神さまに属するもの、神さまのものであることです。そして、安息日を聖なるものとするとは、安息日を神さまの日として区別することです。神さまのための日、神さまを見上げて礼拝するための日として、ほかの六日間と区別するのです。それは、世界を造られた神さまのみわざを覚えることであり、私たちの時間も、本来は神さまのものであることを覚えて、神さまにお返しすることです。自分の時間は自分の時間ではない、神さまのものであることを覚えてお返しするのです。そして、だからこそ、自分の活動をストップします。自分の活動をストップして、神さまの御前に静まるのです。それは、自分を神さまのご支配におゆだねして、自分が自分の中心であることをストップすることです。
「あなたはいかなる仕事もしてはならない」、私たちがストップする仕事は、職業としての仕事や日々のさまざまな活動だけではありません。何よりもストップしなければならないのは、自分が自分の中心となって生きることです。私たちは自分が自分の中心となって生きることをストップするのです。そして、神さまを心の中心にお迎えして、自分が自分の中心となって生きることをストップする時にこそ、私たちは神さまに導かれて生きる恵みの中で、まことの安息をいただくことができるのです。
ところで、十戒の安息日は実は土曜日に当たります。しかし、現在の私たちが礼拝のために集まっているのは、土曜日ではなくて、日曜日です。つまり、私たちが日曜日を礼拝の日として集まっているのは、単純に十戒の第四戒に従ってのことではないのです。
私たちが日曜日ごとの礼拝に集まるのは、日曜日が復活の日だからです。週の初めの日、日曜日は主イエスさまが復活された日です。私たちはその主の復活をお祝いするために、日曜日ごとの礼拝に集まっているのです。だからこそ、私たちは日曜日を「主の日」と呼びます。そして、その日曜日を同時に安息日として覚えるのは、イエスさまの十字架の死と復活によってこそ、まことの安息が実現したからです。まことの安息はイエスさまの十字架の死と復活によって実現したのです。なぜなら、私たちは、イエスさまの十字架の死と復活のみわざによってこそ、神さまのものとされ、神さまご自身に導かれて生きる者とされているからです。そして、それは決してゆるがされることのない永遠の安息です。
安息はイエスさまによって実現しました。イエスさまのところまことの安息があるのです。そして、その安息へと、イエスさまは私たちを招いていてくださいます。毎週の礼拝の中でイエスさまとお出会いして、まことの安息にあずからせていただきましょう。
祈り
神さまから離れて安息を失った私たちが、まことの安息にあずかるために、御子イエスさまによって、十字架の死と復活のみわざを成し遂げてくださったことを覚えて感謝します。招かれている毎週の礼拝の中で、イエスさまとお出会いし、まことの安息をいただいて、新しい一週間の歩みをスタートさせてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

