聖書愛読より 「キリスト者の自由」 ローマ4・13~25(週報2023年10月29日号)

牧会ずいそう 週報2023年10月29日号

聖書愛読より 「キリスト者の自由」 ローマ4・13~25

「主イエスは、私たちの背きの罪のゆえに死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられました。」(25)

 主イエスさまが十字架につき死なれたのは、私たちの背きの罪がその理由でした。私たちの罪は、神であるお方が、その命を代価としなければならないほどに大きなものだったのです。しかしそうまでして私たちを救いたいと神さまは願われたのです。十字架の死は、私たちの罪の大きさをあらわすとともに、神さまの愛の大きさをあらわすものでもありました。聖書はこの福音、善い知らせを私たちに語り伝えています。
 しかし聖書が語る福音、善い知らせはそれだけではありません。私たちが義と認められる、すなわち正しいものである、と認識してくださるために、主はよみがえられた、復活されたと聖書は語ります。
 聖書は、私たちが義と認められるために、主は十字架に架かられたというだけではなく、復活されたのだ、と語ります。死を滅ぼす復活の力をもって世の終わりまでともにいると約束された主。聖霊を遣わして、神の命に生きることが出来るように日々支えていてくださる主がおられる。その主への信仰によって、私たちは、文字通り義認されていくということ。聖化の歩みといってもよいのかもしれません。それが救いなのです。復活の主とともに歩む喜びを確かにし、神さまの喜ばれる道を求めていく。そんな救われた者の歩みを確かにしたいと思います。


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