●『愛と自由のことば』より(14)

「教会は、世界が自分の敵であるかのように世界に反対して語ってはならない」(ヴィサー・トーフト)

 教会では毎週礼拝にて聖書の言葉を学んでいます。また週日の小さな集会でも聖書の言葉を学んでいます。聖書の言葉は励ましの言葉であり、人生の指針であり、私たちを生かすいのちの言葉だからです。一人でも多くの方に聖書の素晴らしさを知ってほしいと思っています。愛する人びとに聖書の言葉を分かち合いたいと願っています。時折特別な集会をするのもそのためです。もちろん毎週日曜日の礼拝にも、まだ聖書を読んだことのない方にぜひ参加してもらいたいと願っています。礼拝には敷居が高いという方のためには、少しでも教会に参加しやすいことを願って週日の小さな集会が備えられています。
 このようにいろいろな取り組みを通して、聖書の言葉の素晴らしさを発信したいと願っています。そこで改めて語る言葉の「語り方」を振り返ります。オランダの神学者ヴィサー・トーフトは「世界が自分の敵であるかのように」語ってはならないと言います。当たり前のことと思いますが、振り返ってみると案外、世界を敵にして語っているかに見える場面があるのかもしれません。聖書の素晴らしさを語るということは、神さまが世界を愛しておられること、世界に住まうすべての人を愛しておられることを語ることです。語る相手を敵にしていては、愛の言葉も届かないでしょう。愛をこめて愛を語りましょう。


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