●26聖人を訪ねて(11)

 大浦天主堂の前の坂道を下った途中にコルベ神父の記念館があります。かなり見逃しやすいたたずまいです。
 看板を頼りにおそるおそる扉を開けると、記念館というよりも雑貨屋さんのような感じで、店番の婦人が二人おられました。記念館はどちらですか、と尋ねると、その奥を指さされます。雑貨の合間を縫って進むと、ありました! 記念館。
 コルベ神父は、19世紀末、当時ロシアの支配下にあったポーランドに生まれたローマ・カトリック司祭。修道会・フランシスコ会に入会し、ローマで哲学、神学、数学、物理学を学び、哲学と神学の博士号を取得。戦前には数年間日本での宣教活動をされ、その時福音出版社「聖母の騎士社」を設立されました。ヨーロッパ帰国中の1941年にナチスに逮捕されアウシュヴィッツ収容所で殺害されました。
 逮捕された年の7月。収容所から脱走者が出たということで、無作為に10人が処刑されることになりました。その中の一人が「私には妻子がいる」と泣き叫びます。コルベ神父は「私が身代わりになります。私は司祭で妻子はいませんから」と9人の囚人と共に地下牢の餓死室に送られました。通常、餓死刑では飢えと渇きで錯乱状態で死を迎えるそうですが、コルベ神父は毅然として他の囚人を励まし続け、祈りと賛美に満ちた餓死室は、まるで聖堂のようであったと言われます。享年47歳。1982年に列聖されました。
 遠藤周作は、長崎を訪れる修学旅行生には、ぜひここを訪ねてほしいと語っています。


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