●26聖人を訪ねて(10)

 3日朝9時過ぎにホテルを出発。中町教会を見学後、眼鏡橋へ。中島川にかかる石造りの橋で、江戸時代にかけられた古い二連のアーチ橋です。約30年まえ、中学3年生の修学旅行の引率で来た時、市内研修をする生徒のために立ち番をしたところです。その時の記憶はほとんどないのですが、ここに立つと少し当時のことを思い起こしました。
 路面電車で移動しグラバー園へ。開国の息吹を感じる所です。続いて国宝・大浦天主堂、その向かいにある大浦教会、そして少し下ったところにあるコルベ神父の記念館を訪ねました。
 大浦天主堂は1864年にフランス人宣教師フューレ神父によって設計されたゴシック式の会堂で正式名称は「日本二十六聖殉教者天主堂」といい殉教地の西坂に向かって建っています。この大浦天主堂に日本二十六聖人の名前が付けられたので、殉教地に建つ西坂教会の方には日本二十六聖人という名称を付けることが出来なかったとのこと。
 天主堂は竣工の翌年1865年2月17日に献堂され公開されます。その一か月後の3月17日、聖堂内で祈るフランス人宣教師プチジャン神父に、珍しい西洋風の建物を一目見ようとやって来る大勢の見物人の中の一人が語りかけました。「ワタシノムネ、アナタトオナジ」(私たちもあなたと同じ信仰を持っています)。そして「聖マリアの御像はどこ?」と尋ねたのです。浦上の隠れキリシタンたちでした。このマリア像は「信徒発見のマリア像」と呼ばれ聖堂内右側の小祭壇に飾られています。この出来事はヨーロッパにも伝えられる喜びの出来事となりました。しかしこの時まだ日本は禁教の中にありましたので、信徒発見は浦上四番崩れなど信徒の弾圧にもつながることになりました。


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