●26聖人を訪ねて(4)

 如己堂、永井隆記念館の次に向かったのは「浦上天主堂」。正確にはカトリック浦上教会というそうで長崎大司教区の司教座聖堂となっているとのこと。昭和20年8月9日の原爆投下によって破壊された聖堂は昭和34年に再建され現在に至ります。聖堂の敷地内や資料室にはいくつもの被爆遺産(天主堂の鐘楼「アンゼラスの鐘」、被爆マリア像など)がありました。先に訪れた平和公園内にはこの浦上天主堂の被爆した外壁の一部が移されています。
 聖堂内ではステンドグラスから降り注ぐ厳かな光の中に幾人かの方が静まっておられました。
 次は徒歩15分ほどの「長崎原爆資料館」。被爆前の長崎。爆心地より約800メートルのところにあった民家の柱時計、爆発の時刻11時2分を指しています。米軍機から撮影された炸裂の瞬間、きのこ雲。被害の実相、投下までの経過、被爆した長崎の街、放射線による被害、爆風による被害、救援・救護活動などなど。当時の長崎市の人口は約24万人、そのうち原爆投下での死者は7万3千人強、負傷者7万4千人強。こんにち核兵器の開発はさらに進んでいます。核の平和利用と言われる原子力発電などにも思いを巡らしながら、原爆投下によって命を失った人びとの無念を想像しました。
 科学技術は前進します。しかしエデンの園から始まった人間の罪はますます深まる一方です。テレビでは「核兵器禁止条約の交渉開始への決議」に日本が反対したと報道されていました。


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