●『今日のパン、明日の糧』(ヘンリ・ナウエン)より(40)

「私たちはこの世界から逃げようとするのではなく、この世にあって、この世のものとならずに生きたいのです。洗礼がこのことを可能にします。」

 「この世にあって、この世のものとならずに生きたい」。これがキリスト者の願う信仰生活です。
 この世にあるということ。私たちは地域社会に生きています。家庭や職場に遣わされています。信仰生活が、そのようなところから逃げることになっているとすれば、それはキリスト教信仰ではありません。主にある者は、この世に生きるのです。家庭や職場、地域社会に生きるのです。
 しかしこの世のものとはなりません。この世にあっては常にこの世の価値観が私たちに迫っています。テレビやインターネットは幸福の道を語ります。しかしそれは真の幸福を語っているわけではないでしょう。また因習や誤った伝統は、幸福どころかさまざまな苦しみや痛み、人権問題を生み出しました。この世の価値観ではなく、神さまの価値観を持つ者こそ、これらを克服し、真の幸福を示すことが出来るのです。
 「地の塩、世の光」(マタイ5章13~16節)である私たちは、この世にあって、この世のものとならずに生きてゆきましょう。


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