●『今日のパン、明日の糧』(ヘンリ・ナウエン)より(36)

「イエスの生涯の大部分は隠されていました。・・・み国のために、言葉と行いによってイエスに従おうとするなら、何よりもまず、簡素であまりぱっとしない、ごく普通の隠れた生活の中で生きられたイエスに従う努力をしなければなりません。」

 オリンピックで競技する選手たち。競泳や陸上競技の短距離走、体操競技など私たちはほんの数分、あるいは数秒の短い時間、その選手の活躍を観ます。しかし選手たちの練習時間は私たちの眼からは「隠された時間」です。その隠された時間がなければ栄光の時を生み出すことはありません。
 信仰生活も、あるいは人生そのものもいわゆる「栄光の時間」はそんなに多くはありません。もしかしたらこの地上では全くないかもしれません。しかし主にあるすべての人には「もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない」(黙示録21章4節)天国での栄光の時が備えられています。そこに向かって備えている毎日が信仰生活です。
 毎日は「簡素であまりぱっとしない」「ごく普通の隠れた生活」のようです。そのような生活はあまり魅力的ではないかもしれません。しかしそのようなところでイエスさまに誠実にお仕えしていく努力が大切です。隠れた所での神さまとの交わりが、天国での栄光の時に向かっての備えとなり、また地上においても豊かな実を結ぶ人生となるのです。


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