●『今日のパン、明日の糧』(ヘンリ・ナウエン)より(30)

「誰も傷つくことから逃れられません。・・・大切なことは、恥ずかしい思いをしないですむように『傷をどうやって隠せるか』ではなく、『私たちの傷をどうやって人々のために役立てられるか』という問いかけです。」

 「苦しんだことのない人びとというものが、どんなにがまんならないものかは、人生があらゆる仕方で教えてくれる。挫折と悲哀こそ、人間がその兄弟たちと共感し、交わるためのパスポートである」(ロバート・ゴルディス、『神と人間の書―ヨブ記の研究』より)。
 イエスさまは「傷ついた癒し人」です。私たちが肉体的、精神的、霊的に苦しみ傷つく時、十字架のイエスさまのお姿を仰ぎ見ましょう。私たち以上に苦しみ傷ついていてくださる神の子のお姿に、私たちは癒されます。
 キリスト者は聖餐式において割かれたイエスさまのお身体であるパンを食します。そうして、イエスさまのように「傷ついた癒し人」としてこの世界に遣わされていきます。その歩みは、自らがさまざまに負う傷によって、この世界の人びとの役に立ち、その交わりを育てていくことでもあります。聖餐式の机のことを「コミュニオンテーブル」(交わりの机)と呼ぶ意味がそこにあるのかもしれません。
 失敗や過ち、苦しみや傷を、主に癒していただきましょう。そうしてその傷をどうやって人びとのために役立てられるだろうかと問い始めましょう。あなたが人びとの役に立つ者となるように、神さまはあなたが傷つくことをお許しになられたのではないでしょうか。


投稿日

カテゴリー:

,

コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください