●『今日のパン、明日の糧』(ヘンリ・ナウエン)より(28)

「神の無限の気前よさを本当に享受するなら、私たちは、兄弟姉妹が受けるものを感謝するようになるのではないでしょうか。」

 放蕩息子のたとえ話(ルカ15章11節~)には父の心から遠く離れ道に迷い失われてしまっていた二人の人が登場します。一人は放蕩の限りを尽くす弟、もう一人は表面的には品行方正ですがその心は弟に負けず劣らず父の愛から遠く離れている兄です。
 弟に対して無限の愛を傾ける父の姿を、この兄は受け入れることが出来ません。無理もないことです。誰もがこの兄に共感するのではないでしょうか。
 兄が憤慨しているのは、父の不公平な姿に対してでしょう。自分はこんなに頑張っているのに、頑張っていない弟が祝福される姿には我慢がならないのです。しかし考えてみればこの人生は不公平そのものです。生れた場所にすでに違いがあります。もって生れた能力も違います。頑張りに対してある程度は報いがありますが、病気や災害はそれにはかかわりなくふりかかります。妬みの心が起こるのも無理のないことです。
 しかしこの不公平な人生の中にあって「どう生きていくか」は私たちに選択の自由が与えられています。妬みではなく「感謝」に生きることができれば幸いなのです。
 兄弟姉妹が受けるものを感謝するためには、神さまの気前よさが自分自身にも向けられていることを発見し、その神さまの無限の愛、めぐみ、いつくしみを本当に享受、受け入れることです。妬みに縛られる不自由ではなく、感謝にあふれる自由の中に生かされましょう。


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