●『今日のパン、明日の糧』(ヘンリ・ナウエン)より(23)

「憐れみ深いこと(showing mercy)は、かわいそうに思うこと(having pity)とは違います。」

 「かわいそうと思う気持ちは暗に隔たりを含んでおり、見下すこと」。それに対して「憐れみ深さは共に苦しむ心から」。憐れみ深く生きることは、等しいものとなろうとする願いであり、深く思いを共にしようとすること、とナウエンは上記の言葉に続けて語ります。
 人生のさまざまな問題を抱える人々に出会う時、私たちはどのように接すればよいのか、どのような言葉をかければよいのか分らず途方にくれます。どうしてよいか、何を言えばよいか分からないので、後で考えるとずいぶん的外れなことを語ったり、ふさわしくないことを行なったりということが多いのです。
 憐れみ深いこととは、何かを成したり語ったりすることではなく、共にいること、思いを共にしようとすることです。私たちは、むしろ共にいることを避けるために、何かを語ったり、何かをしようとすることもあります。
 罪人である私たちは、憐れみ深く生きることがなかなか難しいのですが、イエスさまはそのような私たちと共にいると約束してくださいました。ですからきっと100点満点は無理かもしれませんが、何もできなくても共にいようとすることを心がければよいのではないかと思います。


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