●天国を見上げて(3)◎一所懸命

 毎年春に教師リトリートが行われます。「リトリート」とは「黙想会」「静修会」「退修会」という意味で、働き場から一時的に退き、神さまの前に集う静まりの時です。牧師、宣教師が家族ともども一つに集まり、祈りと学びの時、また交わりの時を持ちます。
 プログラムの一環で、ゲームやスポーツの時があります。スポーツといっても子どもから高齢者まで気軽に参加できる簡単なものです。ある時ガウブ先生の案で、羽のついたシャトル状のボールを手で打つバレーボールのようなゲームをしました。(ドイツ発祥で「インディアカ」というそうです)。
 みな勝ち負けはあまり関係なく和気あいあいという感じです。悪く言えば手を抜いているのです。しかしそのような中、中沢先生は一所懸命。熱意が高じてか転倒され手首をねんざされたのです。痛みと苦笑いの先生を救急にお連れしました。
 一所懸命とは、武士が与えられた一つの「所」に命を懸けるということです。先生は何事にも一所懸命の先生でした。
私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けてくださるのです。私だけでなく、主の現われを慕っている者には、だれにでも授けてくださるのです。
(第2テモテ4章7~8節)


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