●牧師の机2~魂への配慮の歴史より魂への配慮の歴史2(15)◎力の源泉は受容と理解によって

「牧師は、強制したり、道徳的な言葉を語ったり、押し付けたり、議論したり、指導したりすることはない。その代わりに、勧告を求めて来たひとの力の源泉を見つけ、その強さがどこにあるかを発見し、それを生かすことである。
シューアド・ヒルトナー(1909~1984)

 アメリカ・ペンシルヴェニアに生まれた牧師、心理学者、カルヴァン主義の神学者。
 牧師の仕事は聖書の御言葉を語ることと牧会です。それは強制、道徳的な言葉、押し付け、議論、指導といったことによっては実を結ぶことはありません。その代わりに、やって来た相手の中にある「力の源泉」を発見すること、そしてそれを生かすことによって豊かな実を結びます。それは「受容と理解」によってなされるとヒルトナーは語っています。
 人はみな「力の源泉」を持っているのですね。「力の源泉」とはその人を生かしている力ということでしょうか。それを発見することが牧師の役割としてとても大切なことであるということでしょう。
 それは「受容と理解」によって発見できるということです。「受容」=受け入れること、「理解」=その人の側に(あるいは下に)立つこと。上から目線では、需要も理解もできず、その人の力の源泉を発見することができないということです。
 ご自分のところにやって来た人びとの言葉に静かに、そして激しく耳を傾けられたイエスさまのように「受容と理解」を持つ者でありたいと思います。


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