●牧師の机2~魂への配慮の歴史より魂への配慮の歴史2(13)◎忍耐

「忍耐は、神が人間と共に働きつつ目的を果たしてくださるのはいつであるかということも、神にお委ねしてしまっている。忍耐は、信仰の表現である。この具体的な人間に対する神の愛のご意志を疑わないという信仰である。目に見る現実がそれに逆らうようなものであっても、なお疑うことがない信仰である。忍耐は、諦めの表現ではないのである。
ヘルバート・ギンゲンゾーン(1887~1963)

 ラトビアに生まれた牧師、神学者。ヒットラー政権下での強制移住の苦しみを体験しつつ、同じ苦しみの中にあった人びとを牧師として助けました。
 忍耐は諦め(あきらめ)ではありません。現実に逆らってもどこまでも神さまに信頼し、神さまにおゆだねすることです。神さまを信じ信頼している者だけができる恵みのわざです。主にある方が「もう耐えられないのです」と告白されますことがあります。しかしそういいつつすでに耐えておられる姿を発見します。苦しいと叫びつつも生かされているという事実は忍耐の中におられるということです。
 さて「あきらめる」ということばは、「あきらかに」「みきわめる」ということばから生まれたといわれます。人間の力だけで明らかに見極めようとするとそれは諦めでしょう。しかし神さまへの信仰を持って明らかに見極めようとするならそれは忍耐であり、そこには希望の光が輝いています。


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