●牧師の机2~魂への配慮の歴史より魂への配慮の歴史2(12)◎自分で獲得したと思いこんでいるものを脇に置く

「あなたのお顔を、神がごらんになっても、そこには、お休みになられる場所はありませんでした。・・・正義の神が、自分のところに休まれる場所を得られるようにするためには、人間が、自分で獲得したと思いこんでいるものを脇に置かなければなりません。
エルンスト・ヴィーヒャート(1887~1950)

 ドイツの小説家。ナチ協力の献金を拒否したために投獄され4か月の獄中生活を経験しました。戦後は戦争に勝った国々から歓迎されましたが、勝利者や占領軍の気ままなやり方のもとで苦しみます。戦争中の圧制者のもとでも、戦後の勝利者の支配の中でも、批判的な姿勢をくずしませんでした。
 上記は小説『名もないミサ』の中の一節です。我を忘れて一人の罪人を助けようとする主人公の伯爵に語るユダヤ人ヤーコプの言葉です。
 この世からほめられることをしても、それを自分の力で手に入れたと思っている時は、まことの平安はありません。神さまの恵みである、と信仰によってすべてのことを神さまのみ手のゆだねる時、まことの平安があります。神さまの前に出る時は、自分で獲得したと思いこんでいるものを、すべて脇に置かなければなりません。


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