●牧師の机2~魂への配慮の歴史より魂への配慮の歴史2(8)◎錨(いかり)を抜いていただこう

「錨につながれている船を、まず錨を抜けばよいのに、それをしないで、蒸気機罐(関)を精一杯に炊いて、スクリューをやたらに回そうとするひととおなじようなこと
オスカー・フィスター(1873~1956)

 スイスの都市チューリッヒ近郊のヴィーディコンにて牧師を父に生まれました。最初の牧会心理学者といわれるそうです。精神分析で知られるジグムント・フロイトとも深い交流がありました。
 当時の霊的な指導では、犯された過ちを糾弾し、断固として正しい道を歩むことを要求するということが多かったようです。しかしそれでは傷ついた魂をよけいに傷つけ追い込みがけっぷちに立たせてしまうだけです。錨(いかり)とは船が動かないように海底に向かって差し込まれた杭(くい)のようなものです。その錨につながっている船は、まず錨を抜いてやらなければ、前進することができません。錨を抜かずにやたらにエンジンをたきつけスクリューを回すならば、回す方もしんどいし、回される方もしんどい。しまいには船もエンジンも壊れてしまうでしょう。
 私たちの人生も、過去を振り返ると人生を前進させないいろいろな錨が打ちこまれています。苦い経験、挫折、劣等意識、失敗、後悔などが錨のように私たちの人生を行き詰らせています。それらが解決されないまま、いたずらに人生の先を急ごうとするならば、いつかは人生を壊すことになるでしょう。
 イエスさまによってそのような人生をストップさせていた「錨」を抜いていただきましょう。そうすれば人生はおのずと前進していきます。


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