●デボーションからの黙想(38)~ボンヘッファー『主のよき力に守られて』より◎愛によって

「愛は、その相手の罪責や恥辱や絶望を知ろうとはせず、ただ単純にそこにあり、決して絶えることがない。そして愛は、足を踏み入れるところをすべて清くする。」
(ボンヘッファー、『主のよき力に守られて』より)

 清く生きるためにはどうすればいいでしょうか。
 たとえば、汚れた部屋を清くしようとするならば、まず散らかったものを整理し、ごみを集めて捨て、掃除機をかけ、拭き掃除をし、そうして清くするでしょう。それと同じように人生を清くしようとするならば、罪や過ち、汚れを発見し、整理し、清めていくことを、多くの宗教はわれわれに語ります。
 しかし聖書は、そういうふうに罪責や恥辱や絶望をあばき出すのではなく、ただ単純に愛に生きることを語ります。愛をもって一歩を踏み出すならば、愛そのものが、その足を踏み入れた所を清くしていくのだ、と語るのです。
 人間はひとりでは生きていくことができません。さまざまな方々と共に生きています。できるだけ清い、あるいは健やかな人生を歩みたいと思います。そのためには、愛に生きることです。罪や恥じや行き詰まりをいたずらに指摘し、責めたてるのではなく、愛をもって一歩を踏み出しましょう。


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