●デボーションからの黙想(37)~ボンヘッファー『主のよき力に守られて』より◎信仰者の広さ

「キリストは、自分の側につく者とそうでない者との間の境界線を、弟子たちが願ったり弟子たちが定めようとしたりするより、さらに広く定めようとしている。」
(ボンヘッファー、『主のよき力に守られて』より)

 ある時、弟子でない者がイエスさまの名前を利用して祝福のわざにあずかっていました。それを発見した弟子たちは、彼らのわざをやめさせました。弟子たちは、そのことをイエスさまに報告しました。おそらくほめていただけるであろうとの思いが弟子たちにあったのかもしれませんが、イエスさまは弟子たちに「やめさせることはない」と言われました。
 弟子たちは、イエスさまにちっとも従っていないのに、自分たちに都合よくイエスさまの御名を利用している者たちと、自分たちの間に「境界線」を引きました。しかしイエスさまは、そのような彼らも「仲間」であると言われ、彼らとの間に「境界線」を引かれませんでした。
 イエスさまを信じている者と信じていないものとの間には、厳粛な境界線があるはずです。そうでなければ信仰を持つことの意味が分からなくなってしまいます。ですから私たちは神さまをおそれつつその境界線を考え、イエスさまを信じること、イエスさまに従うことの大切さを忘れてはなりません。
 しかし「境界線」は神さまが引かれるべきものです。人間が引いてはいけません。神さまであるイエスさまが「仲間である」と言われたお言葉を大切に受け止めたいと思います。


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