●デボーションからの黙想(36)~ボンヘッファー『主のよき力に守られて』より◎ゆるす心は自由な心

「自分が何度相手を許したかを数えている間は、あなたは繰り返し、相手の犯した罪を数えているのであって、実際には、まだ一度も相手を許していないのである。
・・・
数えることをやめ、自由になりなさい。」
(ボンヘッファー、『主のよき力に守られて』より)

 「我らに罪を犯す者を我らがゆるすごとく、我らの罪をもゆるしたまえ」と主の祈りにおいて私たちは祈っています。しかし私たちに罪を犯す人をゆるすことは大変難しいことであることを私たちは知っています。ゆるしは相手のために必要なことではなく、自分のために必要なことです。「ゆるさないぞ」などと思いいてるうちは、自分自身がしばられていて決して幸福ではありません。
 ある時ペテロはイエスさまにひとの罪は何度までゆるすべきか、7度までか、と問いました。「7」は完全数ですから、ペテロにしてみれば最大限のゆるしを語ったつもりでしょう。しかしイエスさまは7ではなく、7を70倍するまでゆるしなさいと答えられました。7の70倍ですから490回ゆるせばいい、491回目からはゆるさなくてもよい、というのは屁理屈でしょう。
 ボンヘッファーは、何回ゆるしたかなどと数えているうちは、結局まだ一度もゆるしていないのだ、といいます。イエスさまは数えることの不可能な数字を言われることで、無限にゆるし続けなさいといわれると同時に、数えることなどやめ、自由になりなさい、といわれたのでしょう。


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