●デボーションからの黙想(35)~ボンヘッファー『主のよき力に守られて』より◎仕える者は自分の賢さに頼らない

「自分の意志を貫くよりも、隣人に仕えることのほうが、さらによいことではないか。」
(ボンヘッファー、『主のよき力に守られて』より)

 自分の賢さに頼って生きる時、隣人に仕えることができなくなります。自分が賢い者であると考えると、隣人はみな愚かで劣っている人と考えるようになります。自分の賢さに頼っているので、どこまでも自分の意志を貫き、隣人の意見を聞くことができません。隣人は、自分の賢さを証明するための道具なので、逆に自分に教えようとする隣人が現われると、その隣人は敵対者になってしまいます。
 人に何かを教えている時、人間は気持ちがいいのです。賢くなった気がします。しかしそれは自分の賢さを証明しているだけであって、本当は自分に自信がなく、いつ自分の足りなさや、問題点が暴露されるだろうかと、恐れているのです。その恐れを隠すために、ますます強硬に自分の賢さに頼るのです。
 隣人に仕える人は、自分がとるに足りない者であり、誰よりも愚かであり、罪人のかしらであることを知っています。自分が罪人のかしらであるということを、真実にわからせてくださるお方はイエスさまだけです。イエスさまの十字架のゆるしの体験は、自分を自分の賢さに頼って生きない道に導きます。自分の賢さに頼って生きようとする人は、結局イエスさまの十字架に真実には出会えていないのかもしれません。


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