●デボーションからの黙想(32)~ボンヘッファー『主のよき力に守られて』より◎愛は待ち望むこと

「愛は待つことができる、長い間、しかも終りまで待つことができる」
(ボンヘッファー、『主のよき力に守られて』より)

 エレベーターに乗ると、ほぼ必ず「閉まる」のボタンを押してしまいます。それはある場面では大切なことだと思いますが、それにしても数秒が待てません。自動車を運転している時の信号待ちの時間も、わずかのことである場合が多いのでしょうけれども、待つのは苦手です。ぎゃくに他人に待たせることは案外平気だったりします。「お父さん、お父さん」と呼びかける子どもに、「ちょっと待って」と何度言ったことでしょう。人間は自分勝手です。
 「愛は待つことができる」とボンヘッファーは語ります。愛に生きようとする人は、無理やりに何かを変えようとするのではなく、それ自体が変わっていくことを待ち望もうとします。今の瞬間のことごとですべてを判断するのではなく、将来に向かっての成長を信じて待ち望もうとします。
 この世の価値観は、待つことは無駄であり価値のないことであると私たちに語るのかもしれません。しかし神さまの愛をいただいた者は、待つことにも価値を見いだします。
 イエスさまは、私が信仰をもち、愛に生きるために、どんなに待っていてくださったことでしょう。


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